全体主義に対抗する決め手は一人一人の拒否する行動。

2016-05-20 10-49-14

ナチスの迫害を逃れアメリカに渡った女性政治哲学者、ハンナ・アーレントが生涯をかけて問いかけたものは何かを無性に知りたくなりました。

彼女の著作は分厚く難解です。秀逸な手引書があります。現代書館から出ている初心者向けの『ハンナ・アーレント』です。イラスト付きです。

もう一冊、中公新書の『ハンナ・アーレント「戦争の世紀」を生きた政治哲学者』です。前者は、杉浦敏子さん、後者は、矢野久美子さんの著作です。

アーレントは、1906年ドイツに生まれたユダヤ人で、大哲学者でナチスとつながりを持ったハイデガーに師事しました。一時期は、不倫関係にありました。

ナチスの支配が強まるにつれ迫害から逃れるため1933年フランスに亡命しました。1939年の第二次世界多選勃発後、5週間収容所に入れられました。

パリ陥落でフランス国内が混乱するさなかに脱走しアメリカへと亡命を果たしました。この一連の過酷な体験はアーレントの政治哲学形成の原体験となりました。

ナチスは敗れ、ユダヤ人の大量殺戮も白日の下にさらされました。ナチスのような全体主義がいかに成立したかはアーレートの終生の探求のテーマとなりました。

1951年『全体主義の起源』という三部から成る大著を刊行し政治哲学者としての地位を確固たるものとしました。著書名にアーレントの問題意識が凝縮されています。

1960年イスラエルの秘密警察に元ナチスのアイヒマンが逮捕され首都イェサレムで裁判にかけられました。アーレントは裁判を傍聴し1963年傍聴記を刊行しました。

アイヒマンは大量のユダヤ人を絶滅収容所に移送した責任者です。アーレントはアイヒマンは極悪非道の狂人ではなく凡庸な人物で命令に忠実ないわばマシーンだとしました。

またナチスが残虐な行為を遂行できた背景にはユダヤ人社会の指導者たちの協力があったと断罪しました。アーレントの著作は猛然たる非難を浴びました。

昨年アーレントの生涯を描いたドイツの女性監督の映画「ハンナ・アーレント」が話題を呼びました。アイヒマンの裁判をめぐる論争が主題です。DVDを借りて観ました。

2005年、イギリスのBBCが制作しNHKが放送したナチスのアウシュビッツ収容所関連の作品5本も観ました。ヒトラーとアイヒマン裁判のドキュメンタリーも観ました。

アーレントは自らも過酷な体験に直面し同胞の想像を絶する苦難も知り尽くしています。それなのにナチスを一方的に糾弾するという態度を取りませんでした。

全体主義がはびこってしまったそもそもの原因はそれを求め許容する大衆の態度が深くかかわっているという根本認識があるからです。

全体主義は一人の狂人が作り上げるものではなく大衆の支持があって初めて成立します。我々が全体主義を形成する主体であるという認識が必要だということです。

全体主義を防ぎたいのならば一人一人が強い信念を持って全体主義を拒否する行動を取り続けることが必要です。そうしないと気づいた時には、既に全体主義に絡め取られてます。