「優しいことをすれば花が咲き、命をかけてすれば山がうまれる。」

自宅にいる時は、2歳7カ月の孫君に絵本を読んであげるのが日課になってます。一押しの作品があります。斎藤隆介・作、滝平二郎・絵の『花さき山』です。

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作者の斎藤隆介さんは先の大戦で疎開した先が秋田でした。作品には、どこか東北の香りがしみ込んでいます。そして、その風情が情緒あふれる絵画となっています。

少女が山に迷い込みました。年老いたばばに出会います。見たこともない美しい花畑を目にします。ばばは、その花たちの美しさの秘密を語りかけます。

里の人たちが自らを犠牲にして優しい振る舞いをすると花を咲かせます。我慢した際に流す涙が花を育てるのです。ばばは、少女が咲かせた花を教えます。

祭りの時に美しい着物を着たいのを我慢して妹に着物を買ってやってと母親に頼みます。その時に流した一滴の涙がこの世のものとは思えない赤い美しい花を咲かせました。

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我が家の孫君は5月に弟が出来てお兄ちゃんになりました。『花さき山』にはお母さんが弟にかかりきりで寂しいのを我慢している姿を描いた場面があります。

お兄ちゃんだからと甘えるのを我慢しているのです。お兄ちゃんが流した涙が花を育てます。孫君はその挿絵を見て自分だと言ってます。

『花さき山』の話は、花畑の話から更にもっと大きな物語へと展開します。山がなぜできたかという秘密についてです。これも自己犠牲で出来あがったのです。

八郎という大男が海に沈んで高波を防いで山が出来ました。三コという大男が山火事になった山に覆いかぶさって焼け死んだときに山ができたというのです。

優しいことをすれば花が咲き、命をかけてすれば山がうまれるというのです。少女は家に帰り大人たちにばばから聞いた話をしましたが誰も信じてくれませんでした。

『花さき山』が書かれたのは1969年です。戦争が終わって24年目でした。作者の斎藤隆介さんは、あとがきに敗戦からの歩みについて書いています。

「日本の人たちは自分たちをおさえつけていたものをとりのぞかれて、自分をいっぱいに生きる自由の喜びの中から戦後の歴史を始めました。」

「しかしまた、戦後の歴史のもう一つのもう一つの太い心棒は我々は一人ではなくてみんなの中の一人だという自覚を持ったことです。」

「一杯に自分のために生きたい命をみんなのためにささげることこそが自分を更に最高に生かすことだと信じてその道を生き始めた人たちがおおぜい出てきました。」

斎藤隆介さんがイメージしていた人物が誰かはわかりません。しかし戦後の社会において自由の謳歌だけではなく命をかけて奉仕することにも高い価値を見出す視点は新鮮です。

単純な自己犠牲を讃えているのではありません。自らを精一杯表現することは命をかけてみんなのために尽くすことという精神はとても尊いと思い心が震えます。

三つ子の魂100までという言葉があります。幼い孫君に『花さき山』の作者の心が孫君の心にしみ渡ったならばたくましい男子に育ってくれると確信します。