中国に対し「き然とした態度」で臨むとは何か

菅官房長官時代、「粛々と」という言葉がはやりました。普天間飛行場の辺野古への移設推進で用いられました。

沖縄県民の大方の感情を逆なでするような冷たい響きがあります。反対があっても無視するだけだという感じです。

菅さんが官房長官から総理へと就任してからかつての十八番の言葉を口にすることは無くなりました。

ここに総理と官房長官の役割の落差が端的に表れます。官房長官は悪者でも良いですが総理は違います。

総理は国民から愛され慕われる存在であることを求められます。自らをあえて不人気にする必要はありません。

菅官房長官時代が去ってから「粛々と」を口にする菅さんの後継的存在の政治家はいません。

逆に言えば自ら悪役になっても政策を遂行するタイプの政治家が政府にいないことの証でもあります。

影が薄くなった「粛々に」に代わって多くの政治家がしばしば発する言葉が「き然として」です。

菅さんも官房長官、総理時代を含めて口にしていましたが今や頻繁に使用されてインフレ状態です。

昨日のNHKの党首討論でも多くの党首が「き然として」を使って対中国外交姿勢を説明していました。

たいていは「中国に対し言うべきことは言う」という言葉とセットになって用いられてます。

広辞苑によれば「意志が強く物事に動ぜずしっかりしているさま」と解説されています。

日本の国益に反する行動を中国がとっている場合は正々堂々と物申す」ということだと思います。

党首討論を聞いている限りにおいてはこの解説に一番近い姿勢を示していたのは共産党の志位委員長でした。

中国の東シナ海、南シナ海での覇権主義的行動を非難し海警法の施行は明らかに国際法違反だと断じてました。

尖閣領有問題にしても日本側の国際法上の正当性を訴える国際的な努力が不足していると政府を追及してました。

「き然として」という言葉を使わずに「き然として」の中身を具体的に明確に語っていました。

志位さんが共産党でなくて自民党の指導者であったらさぞかし背骨が通った主張をすることだろうと思いました。

岸田総理は師遺産と眼を合わすのを避けてました。経済とのバランスを考えるとして物言いはあいまいでした。

日中は経済的に深い関係にあります。しかし正義をないがしろにしてしまってはバカにされます。

エコノミックアニマル論が再燃してしまいます。中国に対しては明確な物言いが不可欠です。

アメリカのポチにならないことだけを注意すれば良いのです。日本国の胆力が問われてます。

岸田総理の柔弱な態度は党内外のタカ派から突き上げられ総理の座を危うくすると思います。

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