収容所からの遺書ー道義国家日本への夢

昨年暮れに公開され話題となった映画「ラーゲリより愛をこめて」。
極寒の地シベリアで9年の抑留生活を送った人物の実話です。
主人公の山本旗男さんは東京外語大のロシア語を卒業し満鉄の調査部勤務。
語学力を買われ軍の特務機関に在籍しました。

ソビエトは1945年8月9日旧満州に侵攻しました。
日本の敗戦で60万人の将兵がシベリアに抑留されて強制労働が課せられました。
1950年までに一般の抑留者は帰国できました。
千人あまりの戦犯はシベリア東端のハバロフスク市内の収容所に収容されました。
山本さんは諜報に関わっていたとされ戦犯にされました。

山本さんは帰国を果たせず1954年9月死亡しました。
山本さんは生前4500字におよぶ遺書を密かにしたためました。
ソビエト側に見つかればすべて没収です。
仲間が数人に分かれて遺書を分割し遺族に届けることになりました。

帰国は1956年の日ソ国交回復の後です。
繰り返し反芻し頭の中に叩き込んだとのことです。
奇跡のリレーにより山本さんの遺志は帰国を果たしました。

私が山本さんの存在を知ったのはつい最近です。
6月11日に秦野市でウクライナを支援するコンサートがありました。
そのイベントの中で特別講演がありました。
山本厚生さんという建築家の方でした。
映画の山本さんの次男が秦野市在住だったのです。

驚いて原作の『収容所から来た遺書』を手に取りました。
東京や横浜への行き来の電車内が図書室です。
年齢のためかすぐ眠くなりなかなか進みませんでしたがようやく読了しました。

山本さんは学生時代社会主義に傾倒しソビエトにあこがれの気持ちを抱いてました。
その理想の国から受けた仕打ちが過酷な労働と長期の抑留でした。
ソビエトを愛しロシア語に堪能だったことがあだとなり戦犯となりました。
ソビエトにへつらう日本人収容者からは反ソ的人物だとつるし上げを食いました。
山本さんのいたたまれさはいかほどだったかと思うと胸が締め付けられます。

山本さんが3男1女の子供たちにあてた遺書は日本人への遺書とも読み取れます。
「日本民族こそは将来、東洋、西洋の文化を融合する唯一の媒介者、東洋の優れたる道義の文化―人道主義を以て世界文化再建に寄与しうる唯一の民族である。この歴史的使命を片時も忘れてはならぬ。」

山本さんの眼には今の日本国と日本人の姿はどのように映っているのでしょうか。
山本さんの遺言に応える努力を怠ってはなりません。