漠たる不安を取り除き地に足を着けて生き抜く。

元旦、届いた年賀状を見ていて目にとまった短いコメントがありました。「芥川龍之介ならずとも漠然とした不安にさいなまれそう…」と書いてありました。

日本を代表する文豪、芥川龍之介は、1927年7月24日に「僕の将来に対する唯ぼんやりした不安」と書かれた遺書を残して自殺しました。

年賀状は、NHK神戸放送局時代の上司からでした。元経済記者です。経済が消費税の増税などで暗転するのではないかと見ているのかもしれません。

あるいは昨今の日本を取り巻く国際情勢が尖閣や靖国神社参拝をめぐって騒々しくなっていることを案じているのかもしれません。

問題は、年賀状に書かれていた「漠然とした」というところにあります。誰もが不安の原因が分かっていれば対処することは可能ですがはっきりしません。

何かおかしいという気分だけが残ります。人々を滅入らせることになります。原因をはっきり認識することができれば気分は晴れます。

私は漠たる不安の背後にあるのは欲望を駆り立てることによって経済を回す資本主義の仕組みがついに限界に来たことにあるのだと思います。

グローバル時代と称して地球規模でマネーゲームを繰り広げて富むものは富み、貧しい者はどん底に落ちる仕組みが持続可能であるわけがありません。

いくら富を積み上げたところで富の元が崩れては話になりません。消費する人が貧困に喘ぎ、富をもたらす地球環境がガタガタになれば経済は回りません。

地球を経済力で支配しようと思っている人たちはバブルを起こしたり戦争を起こしたりして一時的な経済のしのぎをしようとするでしょう。

そんな企みを実行しても泥沼にハマるばかりです。蛇が自分のしっぽに食いついてもがいているようなものです。大転換の時期が近い将来来ると思います。

これから次々と発生するであろう自然災害や戦争や紛争などの混沌とした状況は、新しい仕組みを創るためのいわば通過儀礼です。

混沌状況を逆に活用して新たな社会を創造することができるかどうかが漠たる不安の時代を越えようとする人たちに問われています。

こうした大きな時代状況を把握していればあたふたすることはありません。何をなすべきかは自ずと見えてきます。地に足を着けて生き抜きましょう。