断じて忘れてはならない日米関係年表

日米関係を考える時に忘れてはならない日があります。

1853年6月3日アメリカのペリ―提督率いる軍艦4隻が浦賀に来航しました。
「たった四杯で夜も眠れず」の黒船です。
軍事力を背景に開国を迫りました。
ペリーは日本に来る前に琉球に寄港していることも銘記しないといけません。
アメリカが日本を攻める時まず沖縄次に本土です。

1941年12月8日帝国陸海軍はハワイの真珠湾基地を奇襲攻撃し日米開戦となりました。
1945年3月10日大空襲で東京は火の海となり10万人近い死者を出しました。
19年後空襲を指揮したルメイ将軍に日本の佐藤栄作総理は勲一等を授与しました。
航空自衛隊の創設に貢献したというのが理由です。
ホロコースト的な行為の首謀者に勲章を贈った1964年12月7日も忘れてはなりません。

1945年3月26日沖縄を舞台に壮絶な地上戦が始まりました。
森山良子さんが歌いヒットした「さとうきび畑」の一節。
「あの日鉄の雨にうたれ 父は死んでいった」。
日本軍は住民を巻き込んで抵抗しました。
6月23日力尽きました。
民間人を含め死者は20万人と言われます。

1945年8月6日に広島、8月9日に長崎に原爆が投下されました。
人類史上初めて核兵器が使用されました。
死者は広島で14万人ほど長崎で7万人強。
アメリカは戦争の早期終結のためと投下を正当化してます。

1972年2月21日アメリカのニクソン大統領が中国を訪問しました。
敵対関係にあると思われていた両国の急接近は世界に衝撃を与えました。
アメリカの忠実な配下の立場に甘んじていた日本のショックは図り知れません

佐藤栄作総理はものの見事にはしごを外されました。
アメリカという国の本質は今も変わらないはずです。
いざとなれば自国最優先です。
警戒を怠ってはなりません。

仕掛けたのはキッシンジャー大統領補佐官。
つい先日100歳で亡くなりました。
日本人として断じて忘れてはならない人物です。