勝海舟生誕200年、海舟のことばが今も響く
NHKBSPの「ザ・プロファイラー」で勝海舟を取り上げていました。
今年生誕200年ということです。
歴史上の人物で誰が好きかと問われれば第1位は勝海舟です。
『氷川清話』『海舟語録』の2冊は座右の書です。
歯に衣着せぬ闊達な口調がたまりません。
8月足柄の歴史再発見クラブの有志で東京・両国に行きました。
関東大震災で3万8千人の焼死者が出た現地を見るためです。
カフェに立ち寄りました。
古地図が各人のテーブルの上にありました。
勝海舟の生家を見つけました。
虫眼鏡で拡大しないとわからないような広さでした。
200年前勝海舟は貧乏な旗本の子として生まれました。
そこから西郷隆盛と対峙し江戸の無血開城を果たす大胆力の人物になりました。
何が勝海舟をそこまでの人物にしたのか興味あります。
まずは時代状況です。
260年続いた江戸幕府が崩壊寸前でした。
西欧列強の圧力は日に日に強まりついに開国へと至りました。
激動の時代が勝海舟を育てました。
咸臨丸でアメリカにわたり欧米の社会を自分の目で確かめていたことが大きいです。
国内だけの視点を越えて世の動きを眺めることができました。
攘夷といって内に閉じこもる発想は了見を狭くします。
現代日本にも同じことが言えます。
勝海舟は海軍の生みの親ですが平和志向です。
日本人同士の内戦は外国を利するだけという考え方が徹底してます。
官軍の総大将が西郷隆盛だったという幸運にも恵まれました。
江戸を戦火から守りました。
東京となった江戸は1945年3月10日の東京大空襲で焼け野原となりました。
勝海舟は天上からどんな思いで惨状を見つめていたのでしょうか。
中国に深入りするとやけどすると言ったではないかと肚を立てていたに違いありません。
勝海舟がいたら何をいの一番に語るでしょうか。
世界に向けて日本の主張を恐れずしろと叱咤すると思います。
平和憲法を持つ国の気概を示すのはこれからが正念場だと尻を叩くと思います。