治山治水は政治の基本

日本の治水における長期計画の歴史を辿った研究書を目にしました。
『治水長期計画の歴史』で著者は建設省(現国土交通省)の治水技術者です。

戦後の混乱期に日本は洪水に悩まされました。
著者は理由について山林の乱伐や開こんによって山地が荒れたことを挙げています。

もうひとつ重要な指摘があります。
戦時中、河川の維持や修繕が足らなかったとの問題提起です。

戦争による食糧やエネルギー不足で住民は山林を開発せざるを得ませんでした。
財源は戦争に回され治山や治水に多くは充てられません。

1945年12月神奈川県議会に小田原選出の県会議員らから意見書が提出されました。
地域を流れる酒匂川の改修を求めるものです。

地形が険しいのに加え河川の整備が遅れていると書かれています。
関東大震災による土砂崩れが加わりました。

「最近における山林の乱伐松根の採掘」で水害の原因が増したとされてます。
治水が難しい河川で大震災の後始末が不十分でさらに山の乱伐があったということです。

最後の理由は戦争によるエネルギー不足で住民が暮らしを守るための行動です。
戦争の影響はまことに根深いです。

治山・治水事業に財源が振り向けられないと後に多大な被害を被ります。
敗戦の混乱期の歴史はそれを立証しました。


『吹塵録(すいじんろく)』という江戸幕府の治世をまとめた資料集があります。
勝海舟が維新の20年後に明治政府の求めに応じ提出したものです。

治水の資料が掲載されていて研究者の解説が目に留まりました。
治山、治水がなぜ政治の重要問題となった書かれていました。

豊臣秀吉の刀狩により農民が治世から切り離されたことに原因があります。
農民にとっての命綱である農業用水は政治をつかさどるサムライ層に委ねるしかありません。

徳川幕府はこの構図をよく理解し治山、治水に励みました。
今もこの構図は基本的に変わりません。

治山治水を忘れるとしっぺ返しを食らいます。
為政者は心すべきです。

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