悲観と楽観の揺れを乗り越える特効薬は高い志

物事を動かす時に後ろ向きの話ばかりする人は厄介です。
頭が良く論理的な物言いをされる人が多いので手を焼きます。

一方で根拠もないのに楽観的でイケイケどんどんも危ういことはいうまでもありません。
制御する人がいなくなれば組織は持ちません。

悲観と楽観、楽観と悲観、両者のバランスをとるのは難しい課題です。
絶妙な手綱さばきは悩ましいです。

3月11日の日経新聞オピニオンの頁。
イギリス・フィナンシャル・タイムズのコラムニストが悲観論を批判してました。

悲観論は人々の行動を促してはいないとのデータに基づいての議論でした。
悲観論は行き過ぎるとあきらめに通じます。

狼少年みたいなもので情報源に対する信頼をも損ねると主張してます。
しかし結論部分でコラムニストは混乱します。

根拠なしの楽観論は更に危険だと付け加えてます。
悲観論を批判しながら楽観的ならば良いというものではないと主張し混乱気味です。

私は悲観論では人々の行動を促せないという論に賛成です。
まちづくりの体験を踏まえると明確で具体的で前向きさが人々を駆り立てます。

悲観を批判に置き換えても通じます。
叩いているだけでは人々はついてきません。

希望というか明るい光が不可欠です。
現在の野党に支持が集まらない理由だと思ってます。

リーダーが希望を語ることが大切なことはここにあります。
光に向かって動くのは自然の摂理です。

問題は悲観と楽観が入り混じる局面が生じることです。
冒頭で述べたように悲観論が勢いを増すことが多いのです。

再びリーダーの役割が重要です。
完璧な根拠などあり得ませんので直感で判断せざるを得ません。

最も大切な判断の根拠は何のためにそうした行動をとるのかということになります。
ここがはっきりしていればさほど迷わないはずです。

悲観と楽観、楽観と悲観問題を乗り越えるのは「目的」というか「志」が鍵です。
リーダーは常に志を高く持たなければならないというのが最終結論です。