勝海舟と二宮尊徳の接点を探る

あこがれの歴史上の人物勝海舟のことばをまとめた『氷川清話』。
海舟の闊達な江戸弁が時空を超え響いてきます。

興味を引くのは古今の人物を品定めする人物月旦です。
私たちの郷土の偉人二宮尊徳も対象となってます。

極めて高い評価です。
小田原に縁がある人物では北条早雲についても同様です。

「二宮尊徳には、一度会ったが、いたって正直な人だったョ。全体あんな時勢には、あんな人物が沢山出来るものだ。時勢が人を作る例は、おれは確かに見たョ。」

二宮尊徳は1787年7月23日生まれで海舟は1823年1月19日生まれです。
36歳開きがあります。

会ったとしたら晩年のことです。
尊徳全集で日記に当たってみましたが記載はありません。

海舟の日記の方も二宮尊徳に触れた部分は見つかりませんでした。
海舟全集の注に面談の日時は不詳とされてました。

海舟は維新後20年たって明治政府に徳川の治世について報告書を提出してます。
江戸幕府の行財政と海軍、陸軍、開国に関わる外交についてです。

行財政についてまとめたものは『吹塵録(すいじんろく)』と呼ばれます。
一昨日のブログでも触れましたが皇室の部から始まり8部に分かれてます。


治水について注目の資料が添付されてます。
印旛沼の開拓と利根川の新流路の開削に関するものです。

「印旛沼疎水につき後藤光亨(みつみち)」です。
民間事業者の意見書を資料として収集し提出しているのです。

1840年代の天保年間に計画された一大治水事業です。
千葉県の印旛沼から江戸湾に流す新水路を開削するというものです。

二宮尊徳が深くかかわり幕府に計画書を提出してます。
計画を遂行しようとした老中の水野忠邦が失脚し計画は未着手に終わりました。

海舟は印旛沼疎水工事について「一大起業」と記しているほど関心が深いです。
二宮尊徳の計画書に目を通していても不思議ではありません。

治水が海舟と二宮尊徳を結び付けた可能性はあり得ます。
私の推理です。

記事

前の記事

後継者を育てる
記事

次の記事

永田町の病根、世襲政治