山北町を足柄上郡のロンドンに!

1998年2月に開成町長に就任した当初大ぼらを吹きました。
開成町を足柄平野のシンガポールにしますと。

アジアの躍進都市国家、シンガポールのように美しい街並みを創ろうとしました。
建国の英雄リークアンユー首相の強烈な指導力にしびれていました。

しかし上には上があることを知りました。
22日の足柄の歴史再発見クラブの定例会で関口康弘会長から教えてもらいました。

山北町はかつて「足柄上郡の倫敦(ロンドン)」と称されていたというのです。
20世紀初頭の山北駅周辺のにぎわいを描写した言葉だということでした。

根拠は山北町史通史編のコラムです。
日露戦争後の新聞記事からの引用です。

当時の山北駅は東海道本線の拠点駅でした。
貨物列車はここで編成をかえて前後に機関車を2台つけて急こう配を昇ってました。


丹那トンネルができて東海道線が小田原から熱海へと抜ける昭和のはじめまでそうでした。
駅周辺の料理屋さんや商店街の賑わいは鳴り響いていたのです。

そうであっても賑わいがロンドンに比べられるほどだとはたまげました。
20世紀初頭のロンドンは世界の文字通りの中心地です。


現在の山北駅はJR御殿場線の無人駅になっていて周辺は閑散としています。
ロンドンの面影はよほど想像をたくましくしないと実感はわきません。


交通基盤としての御殿場線の役割の縮小とともに駅周辺も衰退しました。
過去の栄光は遠のくばかりです。

しかしあきらめてはいけないと思います。
山林資源と富士山をまじかに仰ぎ見る自然景観があります。

何度もブログで書いてますが関係人口の増大に活路を見い出して欲しいです。
神奈川県の躍進都市川崎市との交流強化が現実的手段です。

川崎市は水源地との交流強化に意欲を持ってます。
最大限活用しない手はありません。

町長と議会と住民が一本になって取り組めば再生の道は開けます。
再び足柄上郡のロンドンと呼ばれるような町を目指すと高らかに宣言したらどうでしょう。