小田原市の新設ポスト「政策監」の行方に注目

小田原市の守屋輝彦新市長が就任直後、新設のポストの設置を表明し人事を発表しました。

政策監といういかめしい名称ですが要は市長直属の補佐官ということです。

知人の市会議員に何を目指して設置したかについて市長はどう説明しているのか聞きました。

人口20万人都市の復活のためということのようですが今一つはっきりしません。

成果が出た時に初めて判明する筋合いの仕事だとも述べているということです。

まるでアメリカのニクソン、フォード両大統領を支えたキッシンジャー大統領特別補佐官のようです。

忍者外交を展開しました。1971年米中和解のため隠密裏に中国を訪問しました。

当時アメリカと敵対していたソビエトは中国との関係が悪化していました。

この機を捉えて中国に近づきました。敵の敵は味方という戦法です。現実主義です。

たまらないのは日本です。アメリカの意向を受けて共産党の支配する中国と対立していたからです。

はしごを外された格好です。アメリカの言う通りしたのに何だという感情が起こるのは当然です。

キッシンジャー外交は日本のトラウマです。アメリカは同盟国もだますとの思いが消えません。

現在米中対立が激化して日本はアメリカに付かざるを得ない立場ですがかつての悪夢が邪魔します。

またもや梯子を外されやしないかという疑いが心の奥底に澱のように溜まっています。

話を元に戻します。キッシンジャー補佐官の事例を他山の石とすべきです。

忍者のように裏に回って特命事項を担当するということだけでは混乱を引き起こします。

任務の概要を少なくとも市民の代表者である議会に対し明示する必要があります。

1千万円近い報酬を小田原市民の税金で支払うのですから当然のことです。

初の政策監に登用したのは元城山町長で市議、県議の経験がある八木大二郎さんです。

年齢は守屋市長より少し上でほぼ同世代です。県議を同じ時期に務めたとのことです。

八木さんは2007年3月城山町が相模原市に合併される時の町長でした。

町を二分した激しい対立の政争を決し合併に導いた政治体験の持ち主です。

町の存亡をかけた非常事態を知っていることは大いなる強みだと思います。

小田原市の抜きがたい伝統ともいえる議論ばかりしている体質を改める契機になるかもしれません。

だからこそ、任務の明示が必要で。小田原市の体質とそごが生じる可能性があるからです。

仕切りをあいまいにしておくと政策監と小田原市の幹部間であつれきが生じます。

政策監の役割分担がはっきりしていれば小田原市の幹部とのすみわけも進むでしょう。

私は、八木さんが実体験に基づいた決断と実行の精神で諸課題に挑戦するならば今後に期待します。

分野は広域行政です。手始めとして酒匂川流域市町の連携による新たな治水体制の強化です。

八木さんは町長経験者なのですからトップと直接会って舞台設定に乗り出して欲しいです。

こういった分野での活躍があれば政策監設置の意義は市民に理解されるのではないでしょうか。