戦争で死ぬために生まれてきた世代

今年もお盆がやってきました。菩提寺に行ってお墓の掃除をしました。慰霊塔の掃除もしました。

帝国陸軍の軍人だった父が1984年に死んだあと、部下を慰霊するため建立しました。

1945年8月9日ソビエト軍が日ソ中立条約を破棄して旧満州国に侵入しました。

その後の激闘がありました。父はソビエトの侵入を食い止める挺身大隊の大隊長だったのです。

武力では圧倒的な格差があったので事実上の特攻攻撃が最大の抵抗の武力でした。

爆弾を背負いソビエト軍の戦車の下に潜り込み爆弾を仕掛けて爆発させる戦法です。

多くの若者が敢然とこの任務に就いたのです。父が残した手記にも克明に記録されています。

任務を遂行するための爆弾が足らないと申告してきた兵士がいました。

死の恐怖を超越し祖国のために戦うことのみに集中していたことがわかります。

日本人だけでなく当時植民地だった朝鮮半島出身者の奮闘も書かれています。

父が指揮したこの戦いはソビエト軍を相当に苦しめたようで日本の戦記に残ってます。

しかし勇猛果敢さは戦死者と裏腹です。捨て身の戦いで死んでいった多くの若者がいます。

父の手記には1700人余りの部隊で何人の戦死者を出したのか記録はありません。

父が、敵の目をくぐり抜け日本軍の司令部に戻った時は2人でした。

父は、この戦いの模様を子供だった私に何度も繰り返し話しました。

「戦争で死ぬために生まれてきた連中だ」という言葉がやけに耳に残りました。

単に死を悼んでいたのではなく、彼らの勇猛さに敬意を抱いていたはずです。

このため父の死後父の部隊の戦没者の慰霊塔を建立することにしたのです。

戦争で死ぬために生まれた世代はざっくりと言って大正時代後半に生まれた世代です。

1910年代半ばから192年代半ばまで、存命ならば90代半ば以上の皆さんです。

この世代は、戦中派の年上の方の世代とも言えます。実際に戦った経験があります。

若い方の世代は、学徒出陣の世代です。国民的作家の司馬遼太郎さんらがそうです。

司馬さんは戦争の体験を引きずり戦後を生きてきて数々の歴史小説を世に残しました。

しかし、自らが体験した戦争そのものを題材にした作品はありませんでした。

評論はあります。「なぜあのようなばかげた戦いをしたのか」という観点から語ってます。

この言い回しに違和感を持ちます。戦争の時大学生だった人の感想としては表面的過ぎます。

司馬さんが死んだ同世代の若者たちの死の無意味さを語るだけで良いのでしょうか。

若かりし頃、日本国が遂行していた戦争をどう捉えていたのかまずはっきりしません。

政治思想家の橋川文三さんや竹内好さんは軍国主義に心を捕らえられていたと語ってます。

当時の時代の空気はこちらの方が大勢だったのではないでしょうか。

文筆に秀でていた司馬さんこそ戦争で死ぬための世代の生き残りとして真実を語って欲しかったです。

そうでないと祖国のために身を投げ出した司馬さんと同世代の人たちが浮かばれません。