橋田壽賀子さんの遺言

「おしん」「渡る世間は鬼ばかり」数々の伝説的テレビドラマの脚本を手掛けた橋田壽賀子さんが亡くなりました。

今月4日のことで95歳だったと報じられてます。熱海に住んでいられたことを初めて知りました。

先日女性の社会参画をテーマにしたミニ講演に招いた弁護士の武井由起子さんが選んだのも熱海でした。

熱海人気を実感します。隣接する湯河原も真鶴も小田原も足柄上地域の市町も頑張らないといけません。

NHKBSPで橋田壽賀子さん脚本の朝ドラ「おしん」の背景を橋田さんらが語る番組を放送してました。

橋田さんが困難に耐え生き抜くおしんの生涯を描いた作品を発表したのには深い意図があったことを知りました。

「おしん」が放送されたのは1983年から84年のことで「ジャパンアズナンバーワン」と称賛された頃でした。

バブル経済の空気が世の中を覆って行く中で戦争の苦難を体験している橋田さんは違和感を覚えました。

貧しい時代があったことを全く知らずに経済の繁栄のみを謳歌しているかに見える風潮に警告を発したのです。

橋田さんの予感は的中しました。バブルははじけ日本は30年以上の長期停滞に陥り今コロナにあえいでます。

もうひとつの橋田さんの意図は、より重いものでした。それは戦争責任に関わります。

橋田さんは、番組の中で軍国少女であった自分にも戦争責任があると率直に反省してました。

その上で昭和天皇と同世代の女性が味わった苦難を天皇に知って欲しかったと明言してました。

間接的表現ながら天皇の戦争責任にも触れていると感じました。覚悟の言葉だと思います。

「おしん」平均視聴率50パーセント越えでした。しかし橋田さんの深い意図まで伝わったかはわかりません。

塗炭の苦しみに耐えて世界に羽ばたいたと思ったら日本中の都市が戦争で焼け野原となりました。

その焼け跡から不死鳥のように再生を果たしたものの繁栄に浮かれているうちにあっという間の転落です。

もがき続けている日本に再び陽は登ると確信を持つ人はよほど楽観的な人に限られると思います。

橋田さんのいわば遺言をかみしめた時にふたつの視点を見失ってはならないと思いました。

ひとつは苦しかった時代を今再び見つめ直すということです。もうひとつは戦争は絶対にだめだということです。

日本は再起しなければなりません。当分の間は臥薪嘗胆の時代ですが80年前にもあったのです。

とんでもない困難から這い上がった先人たちの苦難を思えば現代の日本人ができない訳がありません。

衰退が続くみじめな日本を子供たちの世代に渡してしまっては先人たちに顔向けができません。

今を生きる全ての大人たちはもう一度生き様を見つめ直さないとなりません。踏ん張る時です。

置かれている立場によって何をすべきかは違ってきます。その立場の中で全力を挙げるしかありません。

まっとうな人生を生きたと言い切れるようにしたいです。日本人の底力が試される時期が来ました。