菅総理は「泥をかぶれる」政治家になれるか

今なお鮮烈な印象が焼き付いてる政治家をひとり挙げろと言われれば、その筆頭は野中広務さんです。

野中さんがしばしば口していたのが「泥をかぶる」「捨て身になる」「筋を通す」の3点セットでした。

三つの言葉に対応する野中さんの行動は、それぞれ別々の行動だと区別することは難しいです。

ある時は「泥をかぶる」、またある時は「捨て身になる」、またある時は「筋を通す」と見えました。

底流に脈々と同じ精神が流れてます。他人からの評価などどこ吹く風、敢然と行動するということです。

さっそうとしていて、同時に胆力を感じさせる凄味があって今思い出しても畏敬の念を覚えます。

現代の政治家で野中さんのような方を探そうとしても見当たりません。絶滅してしまったようです。

政府は、福島第一原発から発生した汚染水を海洋投棄する方針を固めたと報じられています。

菅総理がこの事態を処理するにあたり野中さんの爪の垢を煎じて飲む対応をすることを期待します。

誰もができれば避けて通りたい案件です。しかし汚染水はたまる一方で逃げ出すわけにはいきません。

海洋投棄の決断の時期が来たと菅総理が判断したことは苦渋の選択として止む得ないと思います。

立憲民主党の枝野代表が結論ありきだと批判したとの報道を目にしました。代案はありません。

これでは反対しているだけです。漁協や福島県民の立場を考えれば投棄を避けられるのならば避けたいです。

そうできないから苦渋の決断なわけです。野中さんの言い回しから選べは「泥をかぶる」がしっくりきます。

菅総理は「泥をかぶる」男になるしかありません。「泥をかぶる」ことと犠牲者になるのは大いに異なります。

前者は総理としての使命感に裏打ちされた行動です。後者は自分を英雄にしようという野心が見え隠れします。

誰かがなさなければならないのならば喜んでその役目を果たすことで福島県民の理解を得るしかありません。

菅総理が敢然としてこの任務を遂行したならば総理の座に座った使命をまず一つ果たしたことになります。

漁協の代表と直接面談しました。当然のことながら風評被害を恐れる漁協からは強い反対意見が述べられました。

それでも他策なしと判断したのですから福島県民に向けて最終判断に至った経緯を総理自らの言葉で発するべきです。

無念の涙がこぼれ落ちるほどの苦渋の決断です。しかも菅総理には東北人の血が流れています。

福島第一、第二原発ともに首都圏へ電力を供給するために建設されました。東北のためではありません。

しかし、いざ原発事故が発生するとその犠牲となったのは福島県民をはじめ東北の人々です。

政府による海洋投棄の最終決断後に発する菅総理の言葉とその振る舞いを凝視したいです。

菅総理が本気の「泥をかぶる」覚悟を持っているのか表情と言葉ににじむと思うからです。

官房長官の会見でお茶を濁すことは許されません。「泥をかぶれる」政治家になれるか菅総理の試金石です。