政治家らしい政治家の大往生

元自民党神奈川県連会長で神奈川県政界のドンと呼ばれた梅沢健治さんが亡くなられました。

92歳だということです。凄味とさっそうとした雰囲気が同居してました。ただ者ではない政治家のひとりです。

神奈川大学の政策過程論でカジノ問題を取り上げ梅沢さんに講義への出席をお願いしたのが一年と少し前です。

梅沢さんが自民党の長老として再考を促していたので直接学生に発信して欲しいと自宅を訪問しました。

梅沢さんは、90歳過ぎているのでといいながらも快諾してくれました。ところがコロナが邪魔しました。

大学の講義がオンラインとなってしまったのです。パソコンの前でしゃべるのは無理だということになりました。

実現していれば梅沢さんのまとまった話を伺える最後の機会だったのにと残念でなりません。

1993年の夏突如NHKを退職して風来坊となった私は政治家を目指してもがいていました。

当時、自民党神奈川県連の幹事長を務めていた梅沢健治さんのところにも足を運びました。

怖れを知らずという時期でしたのでできたのだと思います。いつもの通り単独で乗り込みました。

梅沢さんは徒手空拳の私を門前払いすることなく話を聞いてくれたのです。懐の深い方でした。

「あんたはカネはなさそうだが知恵はありそうだな」と言われました。ある程度認めてくれたのです。

その後私は衆議院選挙に出馬して自民党総裁を止めた直後の河野洋平さんに勝負を挑みました。

梅沢さんは自民党の選挙の仕切り役ですので相手方の選挙の一切を取り仕切る総元締めと言うことになります。

梅沢さんのすごいのは選挙に敗れた後、開成町長に転身した私を暖かく迎えてくれたことです。

若気の至りみたいに大目に見てくれたのかもしれません。町長時代はお世話になりました。

梅沢さんは20年続いた長洲県政の後任知事を決める選挙で元環境事務次官の岡崎洋さんを担ぎ出しました。

2期8年の岡崎県政時代県庁内では梅沢さんの権勢はマックスでした。職員は直立不動状態でした。

梅沢さんは無理難題をごり押しはしません。妥協点を瞬時に見つけ一気に結論を出す才覚の持ち主でした。

下から積み上げて結論を導き出す官僚ではまねのできない芸当でした。官僚のできないことをする本来の政治家です。

現代の政治家、特に政策通と言われる政治家は官僚の発想の延長線上でものを言う方ばかりです。

梅沢さんは政策的詰めなどということはらち外において妥協点があるかどうかの一点集中でした。

出来ると思えばその場で結論を出します。その手綱さばきの見事さはほれぼれとします。勉強になりました。

政局を視る冷静な視点も見事でした。小泉純一郎さんを総裁に押し上げたのは梅沢さんの決断によるところ大です。

2001年の自民党総裁選で神奈川県内で党員投票を行ってだれを支持するか決める予備選を行ったのです。

これが全国に広がり小泉総裁誕生となりました。梅沢さんの政局眼が輝いた瞬間でした。合掌

 

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