東京大学前期入学試験日本史第3問
小田原・足柄を主題にした学生の卒業論文に学ぶ会を毎年主催している方より興味深い情報提供を受けました。
井上三男さんと言って元ソキアの測量技術者です。今年はZoomでの会議となったとのことです。
神奈川県西部を流れる酒匂川のことが東大の前期日本史の試験に出ていると参加者から教えてもらったとのことです。
試験問題のコピーを送ってくれました。結構考えさせられる問題です。いかに試験問題を記します。
次の(1)~(4)の文章を読んで,下記の設問A・Bに答えなさい。
(1)1707年に富士山が大噴火して広範囲に砂(火山灰)が降り,砂はさらに川に流れ込んで大金被害をもたらした。幕府は,砂除川浚奉行を任命するととともに,「近年出費がかさんでおり,砂が積もった村々の御救も必要」として,全国の村々から「諸国高役金」を徴収した。
(2)豊かな足柄平野を潤す酒匂川では,上流から砂が流れ込んで堆積し,氾濫の危険性が高まっていた。幕府は他地域の大名にも費用を分担させ,最も危険な箇所を補強する工事を緊急に行ったが,砂の除去が不十分で堤が切れ,下流域で洪水が繰り返された。
(3)砂が最も深く積もったのは,酒匂川上流の冷涼な富士山ろくの村々であった。砂除には莫大な費用が見込まれたが,幕府からの手当てはわずかであり,一部の田畑を潰して砂を捨てていた。後には砂を流す開削費用が支給されるようになったものの,捨てた砂は酒匂川に流れ込み,下流部に堆積してしまった。
(4)幕府に上納された約49万両の「諸国高役金」のうち,被災地の救済に使われたことがはっきりしているのは6万両余にすぎなかった。その6万両の大半は酒匂川の工事にあてられた。
設問
A 幕府が(1)(4)のような対応をとる背景となった17世紀後半以降の幕府財政上の問題について,2行以内で述べなさい。
B 被災地の救済に当たって幕府はそのような方針をとり,それにはどのようなもんだいがあったか。(2)(3)のような対応が異なる理由に注意して,3行以内で述べなさい。
指示された1行の文字数は不明です。試験を受けている訳ではありませんので字数にこだわらなくても良いと思います。
今からでも東大に入りたいと思っている方是非お考え下さい。私も熟考してみます。
そのうち私の答案をアップします。正直言って受験生でなくてよかったと思ってます。
私の時代の歴史の試験はもう少し暗記重視だったような覚えがあります。考えさせる傾向が強まってます。