先月29日の足柄の歴史再発見クラブの総会でも酒匂川が東大入試二次に登場したことが話題になりました。

新会長の関口康弘さんは高校の日本史の先生ですのでこの手の問題を考えるのはうってつけです。

早速進学予備校の河合塾の模範解答まで用意して解説してくれました。難問だと言ってました。

1707年の富士山宝永噴火後の財源確保のため幕府が諸藩に臨時金を徴収した背景を問うのが第1問でした。

これは素人でも直感でわかります。幕府の台所が苦しいので他藩の懐に手を突っ込んだに決まってます。

ただ幕府の財政難だけでは答案としては全く不十分です。なんで苦しくなったかの解説が必要です。

書棚にしまってあった年表などを見直してみると整理してありました。受験生に戻った気分です。

佐渡金山や石見銀山の産出量が落ちたのと海外への流出が進んだのがこの時期だったことは忘れてました。

1657年の明暦の大火で復興資金が投入されたのも大きいです。元禄時代の華美な風潮で行政支出もかさみました。

さて第2問に移ります。酒匂川上流部と中・下流部の災害復旧に格差があったことの理由を書かなくてはなりません。

河合塾の模範解答によると農業生産生産力の高い地域の復興を優先し山間地をおろそかにしたとなってます。

その結果不十分な対応だった上流部から噴火の砂が流出し洪水が繰り返されたことになってます。

ここで疑問が生じます。降砂が最も過酷だった富士山麓の御厨地域(静岡県小山町)には伊奈神社があります。

伊奈とは伊奈半左衛門のことで噴火後の御厨地域の復旧に命を賭した幕府の代官として有名です。

お米の緊急支援を行い今なお地域の人々からは救いの神として神社で祀られているほどです。

被害が大ききかった山間部を農業生産力重視の観点から切り捨てた言い切って良いか微妙です。

そもそも幕府は上流部も含めて被害の激しかった地域を幕府の直轄地に切り替えてます。

切り捨てではなく当時の土木技術水準では有効な砂防の手が打てなかったのが真相ではないでしょうか。

山中に堆積した砂や砂除け作業で捨てられた砂が大雨で流出するのは当時であっても想定内だったと私は見ます。

堤防が切れた個所は私たちの地域に位置する大口堤です。防ぎ切るのは無理な災害だったと思います。

「当時の土木技術に合わせて幕府はできる復旧工事を行った。このため上流部と中・下流部の対応に差があるように見えるがそれは技術水準によってもたらされた見せかけに過ぎない。」

以上が私の答案です。間違いなく落ちます。東大は模範解答と根拠を公開し解説して欲しいです。