地方議会で民主主義を学ぶ
18日の日曜日の晩に地方政治に関心を持つ住民グループが地方議会改革について勉強会を開きました。
神奈川新聞の司法担当記者の田崎基さんが地方議会で起きている訴訟について講演しその後意見交換しました。
住民グループの中心メンバーの方より催しの紹介があり私はオンラインで参加しました。
田崎記者は横浜地方裁判所を担当していて現在訴訟中の2件の地方議会がらみの事件について解説しました。
ひとつはわたしも再三にわたり取り上げている湯河原町議の土屋由希子さんが起こした訴訟です。
町税などの滞納者リストの議会への情報提供は個人情報保護の観点から問題だとして取り上げたら懲罰を受けた件です。
土屋さんは8人の弁護団を結成した処分の取り消しなどを求めて裁判で闘っている最中です。
もう一件は厚木市議の名切ふみなさんが起こした訴訟です。厚木市立病院の運営に関連した発言が問題にされました。
不穏当だとして議会のホームページの議事録から削除されたのは違法だと訴えています。
田崎記者はふたつの事件を踏まえて地方議会で議員が目指すべき方向性を示していました。
土屋さんの事例が端的に示していますが一般人としての常識を持ちおかしいことはおかしいと提起することです。
そうした姿勢を議員が持つことによってはじめて執行委機関を監視する役割を果たすことができるということです。
憲法の地方自治の項目で記述されている基本中の基本の論理です。しかしこの基本を多くの議員は認識してません。
潜在的に首長が上で議決機関は首長の意向に沿って運営することが本来の役割だと誤解しています。
首長にとってはまことに都合の良い誤解であってただでさえ強い首長の権限は歯止めがかかりません。
独裁は危機管理への対応などで迅速果敢な決定ができる利点がある一方で取り返しのつかない悲劇をもたらします。
ヒトラーのナチスやスターリンのソビエトが典型ですが事例には事欠きません。この悲劇を忘れてはなりません。
地方議会とはスケールが異なると見る向きもあるでしょうが独裁権力の持つ危険性という意味では本質は同じです。
おかしいと思っても権力に迎合することの積み重ねは住民が望む方向とは異なる道を歩む危険が大きいのです。
権力の行き過ぎをチェックする存在がしっかりしていなければ危ういです。優れた首長だって間違えることがあります。
地方議会のような身近な場でおかしいことはおかしいと率直に提起する訓練を行う必要があるのです。
それだから地方自治は民主主義の学校と言われるのです。身近な場で民主主義の精神をわがものとする場です。