人生ノート18~首長連合4~
私が初めて橋下徹さんと会ったのは2009年の3月の地方分権改革推進委員会の席上でした。橋下大阪府知事が登場でテレビカメラが並びました。
当時橋下さんは国の土木工事に地元地方自治体が負担金を課せられるのは地方分権改革に反すると反対の急先鋒でした。
国はぼったくりバーなのかと国の姿勢を鋭く追求していました。ケンカ上手です。弁護士のキャリアが活きていると感じました。
メディアを引きつけてきつい一撃を相手に食らわし大騒ぎを起こします。相手を慌てさせて追い込みます。妥協を引き出します。
橋下発言で注意を払わなくてはならないのはとんでもないと興奮してしまうと話が見えなくなります。何を妥協点として狙っているのかを見ることが大切です。
2009年10月30日開成町の郷土史研究者らと大阪府庁舎を訪問し橋下知事と面談しました。中国の治水神禹王(うおう)の遺跡調査に大阪に行ってました。
橋下知事が「こういった文化的な調査に町長が一緒に出かけてくるのがすごいですね。」と印象を述べていたのが記憶にあります。
橋下さんの苦手分野が歴史や文化にあると感じました。これが配慮を欠いた発言が飛び出す一因でもあると思っています。