河村名古屋市長に見る政治と品格について

新型コロナはありとあらゆる現象の本質をあぶりだしてくれます。政治と品格までもが対象となりました。

名古屋市の河村たかし市長が表敬訪問に訪れた選手の金メダルを突如かじった振る舞いに抗議が殺到しました。

河村市長は謝罪会見をする羽目になりました。いつものべらんめー調は影を潜めしおらしかったです。

ネクタイまで締めてお詫びの気持ちを表してました。いつもの傍若無人さとは相当にギャップがありました。

新型コロナがなければここまでの騒ぎにはなりません。コロナがより厳しい意見を噴出させました。

選手の所属先のトヨタは「アスリートへの敬意や称賛、感染予防への配慮が感じられず云々」と手厳しかったです。

河村市長は漫才で言うところの突込みみたいな感じで仰天させようとアドリブで行ったのだと思います。

政治家は説得するのが仕事です。お行儀良くしているだけではなめられてしまいます。

時には芝居がかった派手めな言動をとって耳目を集める策略も必要です。私は狂気の味付けと称してます。

河村市長はそうした演出ができる天才的な政治家のひとりだと思います。選挙の強さにつながってます。

しかし行き過ぎはご法度です。品格を汚さないようにして狂気はちらりと見せるのが妙というものです。

河村市長は、今回は明らかにやり過ぎました。しばらくの間は謹慎せざるを得ません。

乱暴な言動で世間を仰天させ求心力を高める河村流の政治術が神通力を失うきっかけになる可能性があります。

今回の騒動は政治家はもっとまっとうな振る舞いをしろと警告が発せられたと捉えるべきです。

政治から品格が喪失してしまっている現実に政治家は危機感を持たなければならないということです。

では品格とは何かというと難しい定義となります。体現している人物を想像するのがわかりやすいです。

日本の場合は言わずもがな天皇皇后です。両陛下の立ち振る舞いこそが品格の代表であり象徴です。

しかし皇室は権威を示すものであって権力は持ちません。政治とは一線を画しています。

権力を追い求める政治の現場における品格は権威の世界とは別個の基準を持っていなければなりません。

ひとことで言えば王道です。王道とは私利私欲を超越した政治家の言動だと理解しています。

常に王道を追求している政治家がいつしか身にまとうのが品格と称されるのだと思います。

自分は何をやっても許されるというおごりと目立とうとする我欲が河村市長の言動の背後に潜んでいたはずです。

王道から外れるといつの日かつまづきます。品格を忘れた河村市長の政治姿勢にカツ!が入りました。