人生ノート21~なぜ町長を辞めたか3~

2011年3月はじめ松沢神奈川県知事が東京都知事選挙出馬することが表沙汰になった直後、隣町の間宮大井町長から県知事選挙に出たらと促されました。

間宮町長は当時神奈川県の町村会長でした。町村会挙げて応援しようという決意だったと思います。私はもう少し様子を見てと即答を避けました。

この時に即断即決して直ちに動き出せば私が勢いで県知事になれた可能性があります。一瞬のためらいが事態の変化をもたしました。

間宮町長から促される前に自民党の県連会長の菅義偉さんからも出馬を打診されていました。一気に行ける条件は整っていました。

なぜためらったのかと改めて思い返してみますと、やってやるという本当の自信がなくて怖れがあったからとしか言い様がありません。

自民党はその後、元フジテレビニュースキャスターの黒岩祐治さんを擁立することにしました。民主党も公明党も相乗りでした。

選挙としては黒岩さんの圧倒的有利な状況となりました。私はこういった不利な状況になると今度はとたんに反骨心が沸き起こってきます。

このご時勢に何がオール与党だという反発です。財政状況が苦しい時は町長経験豊富なプロこそが知事になるべきだという自負もあります。

間宮大井町長や山口箱根町長を先頭に町村長全員、さらに川崎市の阿部市長、海老名市の内野市長ら有志が連合を組んでくれました。みんなの党の推せんもありました。

しかし、最終的には、ふざけるなという私は反骨心で出馬を決めたようなものです。有利な状況な時は出馬をためらい不利になると立ち上がる。妙な性格です。