蒋介石戦略と共産中国

終戦の日の8月15日のNHKスペシャルで中国国民党の党首として日中戦争を戦った蒋介石の日記を扱ってました。

アメリカのフーバー研究所で保管されている蒋介石の日記は複写が遺族の希望で許されません。

暗記なんてできませんので筆写するしかありません。10年かけてやられた方がいます。

東洋大学の中国人研究者です。筆写した日記を読み解き別の資料とも付き合わせて蒋介石の戦略を探る番組でした。

蒋介石はあの手この手を駆使して日中戦争の国際化を図ったことが明確に示されていました。

蒋介石は国力からして日本と中国が真正面から戦っては勝てないと冷静に読んでいました。

アメリカを始め国際的な関与を導き出して日中戦争ではなく国際間の戦争へと次元を変えようとしたのです。

そのためには長期持久戦を仕掛けて日本を中国大陸へと引きずり込まなければなりません。

日本は中国の戦力を軽く見ていて一撃を食らわせば中国は引き下がり和解は勝ち取れると思い込んでました。

長期持久戦を目論む蒋介石は精鋭の兵を上海に結集し1937年8月に第二次上海事変を仕掛けました。

日本軍は蒋介石の頑強な抵抗に苦しみました。蒋介石は国際都市上海での戦闘状況をあえて作り出したのです。

この戦いに敗れた後蒋介石は内陸の年重慶に立てこもり反撃を続けました。日本軍は戦線拡大せざるを得なくなりました。

この間に何度か日本との和平交渉もありましたが成立せず日本は1941年12月8日アメリカと開戦しました。

蒋介石戦略がまんまと成功したことの証です。日本は蒋介石の罠にはまったとも言えます。

日本がアメリカとイギリスを敵に回したということは中国は強力な味方を得たことになります。

しかし日中戦争に勝利した蒋介石も強力な敵、共産党との内戦に敗れ台湾へ逃げました。

毛沢東は蒋介石と同様に長期持久戦で日本を中国大陸に引きずり込めば日本に勝てると見ていました。

毛沢東の方が一枚上手だったのです。蒋介石は都市を拠点としたのに対し毛沢東は農村を基盤にゲリラ戦を展開しました。

農村から都市を包囲され蒋介石は敗れました。共産中国恐るべきだと言って良いと思います。侮れません。

蒋介石にしても毛沢東にしても長期戦略を立てて策謀を駆使し目的を遂げようとするところは一緒です。

これに対しわが日本は長期戦略を確立することなく傲慢な思い込みで進路を誤ったと言えます。

日本の大失策は決して過去のものではありません。共産中国はアメリカに並ぶ覇権国として台頭しました。

偉大なる中国の復権という長期戦略を掲げてます。これに対しわが日本の戦略のあまりの脆弱さに寒気がします。