菅総理の一年

一昨日のブログで菅総理が辞めることしか自民党を救う道はないと書いたらそれが現実となりました。

昼前のNHKの臨時の速報を聞いた時の感想は「ようやく」というものでさほどの驚きはありませんでした。

政権の延命を図りあの手この手の権力維持の策謀を繰り出す姿にへきえきとしていました。

師と仰ぐ天上の梶山静六元官房長官はさぞかし悲しんでいるだろうと思うことばかりでした。

梶山さんは「名こそ惜しめ」と口にし名誉を重んじる政治家でした。菅総理の末路とは相いれません。

菅総理が1年でその座から転げ落ちることになったのは自画像の捉え方に誤りがあったからだと思います。

新型コロナのまん延による重圧もあり安倍前総理が身体の不調を理由に辞任したことにより菅総理は権力を手にしました。

棚からぼたもちに近いのです。稀に見る幸運で政権を得たのであって自らの実力で勝ち取ったのではありません。

ところが本人は自分の力量を過大に評価し自分以外にこの難局を乗り切れないと評価されたと思い込みました。

菅総理はブログで何度も書いているように裏の政治家です。表舞台に立つ政治家を権謀術数で支える側です。

官房長官のように権力とカネを持ちながら最終的責任を取らない職務は菅総理の能力を最大限に発揮できます。

ところが菅総理は自分は表舞台でも一流だと思い込みました。表の能力と裏の能力は天と地の違いがあります。

最大の課題である新型コロナ対応はワクチン接種が行き渡るか特効薬ができない限り国民の協力が最大の武器です。

国民の協力を得るためには国民に誠実に語り掛けて国民の納得を得ながら対策を進めるしかありません。

国民との対話が全くできませんでした。常に言い訳が先行したような言い回しで国民にそっぽを向かれました。

菅総理がこうした勘違いをしてしまった背景は権力への執着が強過ぎたからだと思います。

棚からぼたもちで権力を得たのだからという開き直りが決定的に欠けていて捨て身になれないのです。

菅総理がもっと捨て身ならば最初から安倍総理の残り任期の1年のつなぎだと開き直ったはずです。

そうすれば権力への執着は薄らぎもっと透徹した視点から国民が期待する政策を繰り出せたはずです。

少なくとも新型コロナ対策を打ちながらGoToキャンペーンといった二兎を追う愚策はしなかったはずです。

裏の政治家として力を発揮してきた菅総理が自らを過信して表の顔として飛び出したのが過ちの始まりでした。

太陽の光を浴びて策略を繰る能力は封印され干からびてしまいました。耐用年数は一年でした。これが結論です。