人生ノート27~県知事選挙後3~

開成町長、13年を経て再び浪人生活に入りました。連休中の5月1日に福島を訪れました。衆議院議員の阿部知子さんに誘われて、日帰りの強行軍でした。

一緒に南相馬の桜井市長、飯舘村の菅野村長からじっくり話を伺いました。南相馬に入る峠で放射線量の計測器がビービー鳴り出しました。

毎時5マイクロシーベルトを超えた、20だ、30、40だとちょっと騒ぎになりました。年間1ミリシーベルトが基準ですので1時間あたりはおよそ0.114。

(注)年間1ミリシーベルトの時間換算数値は、単純に割ると0.114マイクロシーベルト、しかし   基準値は屋内にいる時間の係数をかけ、0.23マイクロシーベルトになっておいます。

峠を下っていくと急速に数値は低下して警告音は鳴らなくなりました。放射能を含んだ雲が山にぶつかり峠の頂上付近の線量が高いことを実感しました。

桜井市長の独特の語り口調、ネットを活用して世界に南相馬が取り残されていると訴えたあの語り口調そのものでした。

非常に印象に残ってます。戦ってました。あらゆる手段を活用して現場の実態を伝えるという意気込みがすごかったです。

仮設住宅が建つまでじっと待つより空いているアパートを活用したほうが手っ取り早いです。現場を知らずに対応策を進める国のやり方に憤ってました。

飯舘村の菅野村長とは役場で会いました。全村避難の前です。日本で一番美しい村連合に入った矢先に原発事故でこれまでの村づくりの努力が吹っ飛びました。

丁寧にを意味する地元の言葉「までい」をスローガンに美しい村づくりを丁寧に積み重ねてきたと一生懸命説明されました。

しかし、そうした努力も一瞬にして水泡に帰してしまうのが原発事故です。放射能は目に見えません。村の景色は表面上は何も変わっていません。

でも人が住むことができなくなってしまいます。ブランドとなった飯館牛も売れません。暗たんたる気持ちにならざるを得ませんでした。