人生ノート30~衆議院選挙1~

2011年4月の県知事選挙が終わったあと10月までは選挙ドキュメント『県西が燃えた日』の出版記念報告会で終始しました。

暮れに集会を開き衆議院選挙への出馬に向けての決意を表明し2012年になって後援会作りをはじめとする準備を本格的に始めました。

準備期間は少なくとも1年はあると思っていました。民主党政権への風当たりはどんどん強まっていました。負ける選挙は延ばすに決まっていると思ってました。

自民党と公明党との分断工作を行うのが常道です。公明党が一番嫌がる時期に解散・総選挙と考えるはずです。2013年の春、あるいは7月の衆参同日です。

ところが野田総理は自民党の挑発に乗ったのか仕掛けにまんまと引っかかったのかはわかりませんが年内解散、年末総選挙に踏み切ってしまいました。

これは本当にミステリーです。権力を持っているのですから粘ろうと思えば粘れます。衆議院の定数是正というまたとない大義名分もありました。

恐らく財務省が裏でシナリオ書いたと思います。民主党に予算組ませてしまったら翌年選挙で負けてやり直しは必至です。混乱は避けるということです。

裏で自民党と刷り合わせて野田政権を解散へと追い込んで行き、まんまと権力の座をせしめたのが真相だと思います。野田さんは愚かです。

私も愚かでした。妙にプロ的な見方をしてしまい選挙時期を見誤りました。準備期間が明らかに不足しました。開き直って戦いましたが結果は惨敗でした。