満州事変90年の節目のお彼岸

1931年9月18日旧満州(現在の中国東北部)の柳条湖付近の南満州鉄道で爆発事故が発生しました。

満州駐留の旧帝国陸軍関東軍の石原莞爾参謀らが仕組んだ謀略でした。関東軍は一気に旧満州を制圧しました。

満州事変です。今月で90年の節目と言うことになります。翌年満州国が樹立されました。

中国共産党はこの歴史を忌み嫌い偽満州国との表現を使ってます。満州での抵抗を抗日戦争の象徴のひとつにしてます。

満州国は1945年8月に崩壊しました。日ソ中立条約を一方的に破棄したソビエト軍の侵攻によるものです。

既にブログでお伝えしましたが朝日新聞大阪本社が満州国の成立から崩壊までを多角的に追いかけ記事にしています。

その中でソビエトと関東軍との激闘を取り上げ私の父が大隊長を務めていた挺身大隊の戦闘を取り上げます。

昨日はお彼岸の入り、家族で菩提寺に参拝しました。境内に建立してある挺身大隊の慰霊碑にも花を手向けました。

新聞記事になるということを聞いたので念入りに慰霊碑の汚れを落とし手を合わせました。

ソビエト軍との激烈な戦闘で多くの若い兵士が命を落としました。父の死後5年後に慰霊碑を立てました。

父は生前から激戦のあった日にお参りを欠かさなかったので慰霊碑を建立したのです。

満州国には負のイメージが強いですが全てが負ではありません。満州国を守ろうと果敢に戦った歴史も存在します。

そうした歴史に光を当ててもらえれば父も戦闘で命を落とした兵士たちも浮かばれると思います。

ブログで紹介した内容を再度書かせてもらいます。

1960年代初頭にアメリカの著名な軍事史研究家のアルビン・クックスが日ソ戦の記録を徹底調査しました。

ソビエト軍と戦闘経験のある旧日本軍の将校たちから178時間にわたる聞き取り調査を行ったのです。

私の父もそのひとりです。父の証言は南カリフォルニア大学の東アジア図書館に保管されています。

朝日新聞はこの資料を基に記事を書いてます。闇に包まれた満州国の歴史に光を当てる貴重な取り組みです。

ソビエト軍の侵攻は予測されてました。ナチスドイツの降伏の後のことですので戦力の格差は目を覆うばかりでした。

ソビエト軍は東方に精鋭部隊を送り込み侵攻の準備を続けていました。日本軍は5月末ごろに異変に気付きました。

気付いたのが私の父でした。国境付近の女性監視兵が男性の要員に代わったのです。

ソビエト侵攻が近いと見たのです。2か月余り後にソビエト軍との激闘が待ち受けていました。

以上です。続きを読みたいです。父と慰霊碑の兵士たちに報告したいです。