治水の神の配慮か…
1週間前の土曜日のブログでベビーカーウォーキングの話題を書かせてもらいました。
酒匂川の土手にある治水遺跡周辺の雑草が茂り放題だと書きました。ところが、いつの間にかきれいになってました。
酒匂川右岸に祖師堂という日蓮宗の施設があったあたり一面の雑草が刈り取られて見違えるほどでした。
ここには水神さんが祀ってありますし治水の要の場所に置かれていたお地蔵さんもあります。
この辺り一帯を治水公園に位置づけ酒匂川の治水の歴史を考える広場にできればと願ってます。
草ぼうぼうの様子を眺めながらせめて草刈りぐらいはしないといけないと思い続けていました。
それがあっという間にまるで神業のようにきれいになっていたのです。びっくり仰天です。
土手沿いには重要遺跡があります。酒匂川の土手が決壊した歴史を刻んでいる遺跡です。
1938年6月下旬から7月初めの集中豪雨で酒匂川の水位が上がり内側の土手が決壊しました。
残るは外側の土手で水流を止めるしかありませんでした。陸軍や横浜消防隊の応援で何とかしのぎました。
10日間で出動した人員は延べ1100人とされてます。これらの記録を刻した治水碑があります。
この周辺も草ぼうぼうだったのが突如としてきれいさっぱりとなってました。どなたがやられたのでしょう。
河川を管理する県の土木事務所ではないと思います。県が管理する水防施設の展示スペースは草ぼうぼうのままでした。
武田信玄が考案したと言われる「聖牛」と呼ばれる激流を弱める治水道具には弦が絡まってました。
定期的に草刈りをする仕組みが不可欠です。「聖牛」の向きも実際に設置した向きに変えた方が良いです。
先ほど述べた1938年の水害で決壊した土手の名前は九十間土手(くじっけんどて)と呼ばれます。
その突端部分に土手の修復を祈念して「治水」と刻まれたプレートがはめ込まれています。
この周辺も雑草が生い茂っていて「治水」のプレートに申し訳が立たない状態でした。
26日の日曜日、野外活動が大好きな2番目のボクと一緒に少しはきれいにしようと取り掛かりました。
土手の斜面に雑草が生えているので機械で刈り取るのは素人にはなかなか難しいです。
ボクの方は周囲の雑草の茂みにいるバッタなど虫取りに夢中になってしまいました。
慣れない手つきで草刈り機を使いどうにかみっともない状況からは脱しました。
私の出来栄えに比べ祖師堂周辺と1938年の治水碑周辺の草刈りの完璧さに驚きます。治水神の配慮でしょうか。
治水神が率先垂範したとしたら心ある人たちで引き継がないと治水神に顔向けできません。