人生ノート39~衆議院選挙後3~

未来の党の新たな代表に就任した阿部知子さんと知り合ったのは2011年の2月18日私が衆議院の予算委員会に参考人に呼ばれた時でした。

子ども手当や国からの一括交付金のあり方などについて意見を述べ質問者の一人が当時社民党の政審会長の阿部知子さんでした。

政治を考える感性が近いものがあると直感しました。共通の知人として元内閣官房長官の野中広務さんがいることも大きかったです。

県知事選挙の時、応援していただいたことから交流が始まりました。会う度に二大政党ではない新しい塊を作って政治に一石を投じたいと話し合っていました。

一時は前長野県知事で衆議院議員だった田中康夫さんも一緒に話し合いに加わり新党ができないものかと熱心に意見交換したこともありました。

結果としては小沢一郎さんという剛腕が選挙の直前に未来の党を作り上げてそして選挙に負けたあと事実上政党を潰すということになってしまいました。

それまで阿部知子さんらが少なくとも同志を5人集めて政党を立ち上げようと水面下でもがいていた動きは大波に飲み込まれてしまいました。

衆議院議員が一人の政治団体となった未来の党としてもう一度国会議員5人以上の塊を作ることを目指して再びアヒルの水かきのような日々が始まりました。

未来の党としての政策はなんとかまとめ上げたのが5月。それと並行してもう少し大きな塊に成ろという話し合いが続いていました。

基本政策が一致しなくてはなりません。脱原発でTPPに反対、消費税は凍結、環境と女性と平和重視というとみどりの風が一番近いことは明らかでした。

代表の谷岡郁子さんやみどりの風のご意見番の亀井静香さんと阿部知子さんは幾度となく意見交換しました。私も同席したことがあります。

谷岡さんらは自分たちは5人以上の国会議員がいる政党であるのでいわば吸収合併のような感じで未来の党の合流をひたすら求めました。

それでは嘉田由紀子さんから未来の党の旗を受け継いだ阿部知子さんとしては納得できません。話し合いは平行線が続きました。