不要不急とされた音楽に親しんだ1年半1
1年半続いたコロナ禍生活。音楽に親しむ時間が増えました。今もその生活は続いてます。
NHKのBSプレミアムを中心に放送される良質な音楽番組を視聴する機会が断然増えました。
音楽の世界にも極めつけという存在がいると確信を持ちました。まずは、ベートーベンです。
ベートーベンの音楽を聴いてしまうと他の音楽が格下に聴こえてしまうから不思議です。
交響曲もピアノ協奏曲もバイオリン協奏曲もピアノソナタも何から何まで一切合切そうです。
これはもう神の領域と言って間違いありません。神様だから極めつけなのだと思えば納得できます。
24日の日曜日の深夜ベートーベンの交響曲7番をギリシアの古代神殿で演奏するという番組が放送されてました。
早寝早起きの私は録画して視ました。古代神殿に向けて演奏家たちが坂道を上る姿が映し出されてました。
迎えているのは現代舞踊家たちです。鍛え上げた肉体を古代の衣装に包んだダンサーたちでした。
指揮者は世界を席巻しているギリシャ生まれのクルレンツィス。仲間の気鋭の音楽家とともに登場しました。
クラッシック業界に疎い私は指揮者の名前を初めて聞きました。私は題目がベートーベンだったのに惹かれたのです。
番組を視聴した後の印象は目を丸くしたという表現がぴったりでした。舞台設定にまず目を奪われました。
美しい夕暮れ時の古代神殿でかつてかくあったであろうと想像を掻き立てるような力強くて優美な舞踊が目に飛び込みました。
ベートーベンの交響曲7番の軽やかなリズムはそうした古代ギリシャの雰囲気を逆にしなやかに受け止めているのです。
ベートーベンって古代ギリシャに存在した作曲家なのかと思うほど曲と舞踊が一体化しているのです。
普通に考えたらいわば異様な雰囲気の舞踊とクラッシックは互いにぶつかり合ってしまうと考えます。
ところが逆に調和をもたらしてしまうのですから神業としか言いようがありません。
指揮者の技量がそうさせているというよりベートーベンの懐の深さがそうした雰囲気を創り出していると思いました。
やはりベートーベンは神の領域に達していたと改めて確信を持ちました。偉大さにひれ伏します。
クラッシックの素人が直感でこう思うということはベートーベンの音楽の持っている本質を示してます。
クラッシックのテクニックとかそうした側面は全く無知です。それでも偉大さが伝わってくるのです。
神の領域とは何かがわかりました。コロナ禍で音楽に親しむことができたおかげです。音楽は不要不急な存在ではありません。