人生ノート43~禹王(うおう)のふるさと1~
今年の5月20日から26日までの中国訪問は鮮烈な印象が残ってます。中国の治水神、禹王(うおう)のルーツを求める旅でした。
現在の日中関係はひどい状態です。中国へ行ってくるというと驚かれたり、顔をしかめる人が多かったです。尖閣の対立が尾を引いています。
石原慎太郎さんは責任重大です。しかし、石原さんにとって今日の日中関係は、狙い通りで一層中国を叩きやすくなったということかもしれません。
私はなぜか中国と縁があります。中国が好きで好きでたまらないというのではりません。いつの間にか関係が深まって行きます。誰かに導かれているみたいです。
大学では第二外国語は、中国語です(モノにはなりませんでした)。なぜ中国語にしたのか…。1972年の日中国交正常化の影響か…。思い出せません。
大学の卒業旅行は、友人の父親が信託銀行の香港支店のトップだったので香港に行きました。1979年の3月。香港の雑踏が印象に残ってます。
1981年、日中平和友好条約が締結されて3年後、新婚旅行で中国を訪れています。新婚旅行で中国というカップルはほとんど見かけませんでした。
NHKに入ってからも政治家の同行取材先、中国が多かったです。開成町長時代も神奈川県が中国遼寧省と姉妹都市の関係にあることから一度訪れてます。
そして浪人中の今回の訪問です。今度の中国の旅が一番です。新たな発見ばかりで楽しくてタメになって両国の親善にも役に立って最高でした。
1707年の富士山の宝永噴火は、我がふるさとに壊滅的な打撃を与えました。足柄平野を流れる酒匂川は噴火の砂で堤防が切れ、そのままの状態が18年も続きました。
徳川吉宗が幕府直轄で治水工事を行い終了後、なぜか中国の治水の神様、禹王を祀った神社を治水の要衝に立てました。町長時代からこの謎を追いかけてきました。
日本にも70ヶ所に上る関連の遺跡や地名があることがわかりました。中国には数え切れないほどあります。台湾や韓国にもあります。
これなら東アジアを分母に禹王をテーマにして文化交流を提唱できると確信しました。それを実際に実現するために中国へと出かけました。