日米開戦80年と憲法論議
昨日は日米開戦から80年。神奈川新聞が作家の半藤一利さんによる「熱狂に流されるな」との警告を取り上げてました。
半藤さんは今年1月死去しました。1930年生まれで戦中派です。軍国主義一色の少年時代を過ごしました。
15歳で敗戦です。戦後は価値観が180度反転しアメリカ流の民主主義を範とする社会で育ちました。
ほんの少し前は鬼畜米英と言っていた憎き敵が瞬時に救世主となるのですから半端な変化ではありません。
自分自身がこの大転換の時代を生きていないので価値観の大逆転がいかなるものか想像できません。
頑ななまでの反米からアメリカの従順な依存国へ、劇的変化をどう解釈すればよいのか悩ましい限りです。
半藤さんは、「熱狂」が悪さをする元凶だと見ています。「熱狂」に流されてはいけないと警告してます。
半藤さんが警告する「熱狂」は戦前のものです。再び戦争を起こしてはならないという固い決意が伺えます。
ブームという言葉があります。こちらは熱狂ほどの深みを持ちません。一過性で世間を動かすほどの力はありません。
ブームの域を超えて国民全体を覆いつくし「熱狂」化すると魔性が作動を始め、狂気のスイッチが入ります。
ブーム程度のところで止める仕掛けがどうしても必要となります。これが半藤さんの警告を活かす方策です。
戦後は民主主義なので戦前のように狂気に走ることはないとの見方も当然あるでしょう。
私は懐疑的です。民主主義と言っても支えるひとりひとりの国民が熱狂してしまったら同じだからです。
民主主義という普遍的とされる大義の中で逆に「熱狂」が暴走する事態とならない保障はありません。
国の根本理念を明文化したもの、すなわち憲法に「熱狂」の暴走を止める役目を担わせるのが妥当だと思います。
憲法論議を深める現代的意義はここにあると確信します。国会での憲法論議の深化を大いに期待するゆえんです。
どうすればかつての「熱狂」の過ちを繰り返さずに日本国の安全を守れるか論議することが不可欠です。
中国の強大化による米中対立の激化の中で日本は進路を見い出さなければなりません。
中国たたきに熱狂して暴走するなら戦前回帰です。一方で中国の覇権主義に迎合は断じてできません。
アメリカの脆弱化は明らかで依存は危険です。日本として憲法論議の深化を通じて進路を見つけ出す以外に道はありません。
一切のタブーを抜きに国民的な憲法議論を興して日本の進路を再確認する作業がどうしても必要です。
これを怠ると国際環境の激変に翻弄され再び「熱狂」の嵐が沸き起こり進路を誤ることとなります。