日米開戦80年と現代政治状況
今年12月8日は日米開戦80年ということで関連の各種特集番組がNHKで放送されました。
録画してまとめて視聴してます。なぜ開戦してしまったのかという根本原因はいまだ謎のままです。
Eテレで放送された昭和天皇の開戦に至るまでの苦悩を再現ドラマ形式で描いた番組は見ごたえがありました。
戦後、初代宮内庁長官の田島道治の「拝謁記」と天皇の侍従長だった百武三郎の日記に基づいて制作されてました。
昭和天皇の結論は「いきおいに負けた」というものでした。開戦は避けたくても止められなかったというものでした。
1928年に旧満州で起きた満洲軍閥張作霖の爆殺事件から軍部のいわば下克上の空気が強まりました。
中堅若手将校の強硬意見が軍全体を覆うようになりました。1931年の満州事変が画期となりました。
メディアが煽り立てて国民の熱狂が始まりました。国内経済の不況ももちろん背景にありました。
1937年の日中戦争の勃発と泥沼化、1939年から始まったナチスの快進撃に幻惑されに独伊三国同盟締結。
アメリカによる対日石油禁輸、追い詰められた日本は対米開戦で活路を開くしか選択肢が無くなりました。
昭和天皇は終始英米との戦争は避けたかったと述べているものの1941年の開戦が近づくにつれ態度を変えました。
開戦やむ無しへとです。このことが冒頭で述べた「いきおいに負けた」との回想につながります。
番組で加藤陽子東大教授が「天皇という大元帥でさえ止められないという事実に驚いた。」と率直な感想を述べてます。
「いきおい」を阻止できなかった結果は悲惨でした。日本人だけで310万人の犠牲者を出してしまいました。
戦後日本は「いきおい」を抑制し冷静な判断を行う仕組みと人材が揃っているのだろうかと思うと心もとないです。
指導者レベルの方では冷静な判断の元となる情報収集と分析が十分なのかひどく不安です。
戦前はヒトラー優位との情報のみが優先されて客観的分析は排除されてしまいました。
忖度が常に話題に上る現代の行政体質は本質的には何ら改善がなされていないように見えます。
それと敵視と軽視が混然一体となる体質も変わってません。戦前の日本は中国を侮ってました。
大陸深くに誘い込んで日本を叩く中国の懐の深さを冷静に分析出来てませんでした。
なんといっても国家の安全に関わる国民的議論は深まることが無いまま今日まで来てしまってます。
国民は論戦で鍛えられておらず確固たる考えを見い出してません。いつ熱狂の渦にはまってしまうかわかりません。
政治指導者の責任は重大です。日米開戦80年が主要テーマになるような国会にしないと危ういです。