地域政治の創造的破壊を求めて
菅前総理が師と仰ぐ梶山静六元内閣官房長官が死を目前に上梓した著書のタイトルは『破壊と創造』でした。
20年以上前に梶山さんは日本の沈滞を予感し成功モデルをいちど壊し創り直す必要があると考えたのだと思います。
しかし残念ながらその後の日本は壊すだけの勇気を持ちえずズルズルと刷新を先送りしてきました。
3・11、東日本大震災は転機でした。原発政策ひとつをとってみても10年を経てまだ踏ん切りがつきません。
そこに新型コロナのパンデミックです。対応策が後手に回り日本社会の危機に対する脆弱さがさらけ出されました。
政府はデジタル対応に課題があることに照準を絞りデジタル改革で日本社会を変えるとけん伝してます。
しかしデジタル改革を推し進めれば日本の社会の活力は息を吹き返すのだろうかはなはだ疑問です。
もっと日本社会に巣くう本質的な欠陥に真正面から向き合わないと再生は難しいのではないかと思えてなりません。
地域政治の観点から見ると具体的に日本の危機が見えてきます。挑戦する市町村長が少なすぎます。
限られた範囲内とはいえ絶大な権限を有する市町村長はやる気になれば地域革命を起こすことが可能です。
地域に根差した改革ビジョンを掲げ断固実践すれば地域は直ちに変化の兆しを見せるようになります。
そうした市町村が全国各地で燎原の火のように拡大していくことが日本全体の活力向上の土台となります。
しかし現状は政府や都道府県の動向をにらみその枠内で動くことに慣れ切ってしまっているかのようです。
周辺の市町の状況を見ても歯がゆいこと限りありません。新たなリーダーが求められます。
ここまで行き詰って来ると刷新が不可欠です。女性市長や町長、思い切った若手の登用が考えられます。
年齢が嵩んでいてもビジョンと実行力があれば歓迎です。とにかく選手交代が必要です。
地位にしがみつくことだけが目的のような市町村長は危機の時代のリーダーとしての責務を全うできません。
あらゆる首長選挙で新たな人材がどんどん挑戦できるよう私も精一杯応援したいと思います。
破壊が無ければ創造はあり得ません。馬力がある市長村長が必要不可欠です。男女は問いません。
出る杭は叩かれますが出過ぎた杭になればしのげます。時代は出過ぎた杭を求めています。
挑戦を恐れていてはなにも始まりません。嫉妬ややっかみから足を引っ張られますが負けてはなりません。
時代が有為の人材を求めているのです。使命感を持ち敢然とのろしを上げて欲しいです。
有権者があっと驚く人材が打って出れば地域政治は活性化します。創造的破壊が可能となります。