まっとうな怒りは政治家を成長させる
大注目の女性湯河原町議、土屋由希子さんが大みそかのフェイスブックに怒りについて興味深い投稿をしてました。
土屋さんは「悪い奴を懲らしめたい」という感情の是非について思い悩むことがあったようです。
相手を攻撃するではなくそうならないよう制度づくりをしたほうが望ましいのではと心境をつづってました。
怒りの感情を持つと誰しも罪悪感を持ってしまいます。そこが迷いを生じてしまう元だと思います。
私は短気ですのでその場で言い返すと同時に「いつか覚えてろ」と怒りの炎に燃えて復讐を誓う方でした。
水面下で人事に首を突っ込み怒りの標的の相手の進路を阻んだこともあります。政界ではよくあると割り切りました。
こうした世界の猛者のひとりが菅前総理です。官僚がビビり上がった理由はここにあります。
私は脅したりすかしたりする手法が全面的に悪だと思ってません。現実政治を制する手段だからです。
私が薫陶を受けた野中広務元内閣官房長官も剛腕の闘士でした。「わしは許さん!」は口癖でした。
何に怒っていたかというと理不尽なやり方や筋を通さない出来事が許せなかったのです。
怒りは個人の感情ですがその底流に流れているのはこの世に正義を取り戻したいという気概でした。
個人的な憤りが端緒であっても社会を良くしたいの熱情が込められていたと思います。
私はこうした怒りを公の憤り公憤と呼んでます。政治家にとって公憤はなくてはならない要素だと思ってます。
個人的怒り私憤は伝わりません。公憤は他者に伝播し変革のエネルギーとなることがあります。
私憤は下手すれば相手の抹殺まで行ってしまいます。公憤は相手の存在を一定程度認め制御が可能です。
私憤は一時の激情で終ります。公憤は双方が納得できる改善策が見つかる余地があります。
政治家にとって大切なのは怒りがこみ上げた時にその怒りが私憤か公憤かを見極めることです。
個人的な感情のとりこになっているのに気付いたら直ちに鎮めないと取り返しがつかないことになります。
公憤だと確信できるならば軽挙妄動は避けなければなりませんが怒りを抑制する必要はありません。
それどころか言い回しに注意し、より広い人たちに理解してもらえるよう発信すべきだと思います。
土屋町議は孤立無援の中で正論をはいています。正論に対抗できない周囲から陰口を浴びせられていると思います。
これに対し怒りの感情を持ち断じて許せないと反撃することは公憤に基づく行為だと思います。
政治家としての腕力を磨く過程だと自信を持って欲しいです。野中さんのような女性地方政治家へと成長して欲しいです。