「死後生」に思いをはせ今を生きる

成人の日がらみの3連休の最終日10日に神奈川県南足柄市で生と死を考える講演会が開かれました。

地域の医師会などが主催しました。講師はこの分野の探求を続けている著名な評論家の柳田邦男さんでした。

柳田さんはNHKの大先輩にあたります。私の入局当時はすでにNHKを退職し航空評論家として名を成してました。

柳田さんはその後大規模事故だけでなく医療特にがんとの闘いを丹念に取材し著作を発表し続けました。

昨年亡くなった立花隆さんとともに日本のノンフィクション分野をけん引してきたひとりです。

最前列に座った私の眼に飛び込んできた柳田さんは、髪の毛は真っ白で年を取られたな~でした。

現在85歳で背骨の病気で腰がまっすぐに伸びないため杖を使っていると話してました。

しかし頭の方は衰えを見せることなく2時間の予定の講演を30分以上オーバーしてもまだ話足りない様子でした。

柳田さんはがんという病の特殊性から生と死の問題に深い関心を寄せ人間としていかに生きるべきかを考えてきました。

家族による最期の看取りの大切さを訴えてきました。しかし新型コロナはその最期の別れの機会を奪いました。

柳田さんは母の最期を看取った時に寝たきりのはずの母が声をかけた際に母の目から涙が流れた体験を語ってました。

最期の別れの大切さの原体験だと思います。新型コロナは家族との別れの意味でも深刻な問題を投げかけています。

柳田さんはユダヤ人の精神科医が残した一冊の著書を紹介しました。フランクルの『夜と霧』です。

ナチスによって捕らえられ収容所に入れられたフランクルはある収容者が「毎日髭を剃れ」と叫んでました。

どんなに絶望的な状況に置かれようとも毎朝何かをして生きる意志を確認することの大切さを訴えていたのでした。

極限状況でなくてもこうした習慣は日々元気に生きる上で参考とすべきことだと強調していました。

年とともに体力の衰えは避けられません。一方精神性はどうかというと心の持ち方ひとつで逆に高まります。

柳田さんは「死後生」という考え方を提唱していました。「死後生」とは俗に言うあの世のことではありません。

現世を生きる人々の記憶に残る人の生き様のことです。ここに思いをはせることの大切さを語ってました。

立派にまっとうに生きた人の記憶は心地よい記憶として残り伝えられます。地位や肩書とは別物です。

「死後生」を大切に考えることは死ぬ瞬間まで今を大切に立派に生きることにつながります。

人の最期に向き合う終末期医療は、立派に生きることを支えることに大切な使命があると感じた講演会でした。