日本経済の低迷を救うのは分配ではなく起業家精神

19日の国会の代表質問に登壇した立憲民主党の小川淳也さんが戦後日本をどう見るか語ってました。

戦後日本のかたちができたのは昭和の時代だと切り出しました。質問の流れからすると高度成長時代を意味していました。

小川さんによるとこの時代は自己責任・自助努力の時代だったというのです。私は首を傾げました。

この時代は自己責任とか自助努力とか明確に意識することなく豊かさを追い求めてきたのです。

政治的には所得倍増政策の池田隼人総理と日本列島改造論の田中角栄総理が象徴的存在です。

貧乏人は麦飯を食えと発言し物議をかもした池田総理は自己責任・自助努力を旨としていたきらいはあります。

田中総理は違います。日本列島全体に経済成長の恩恵をもたらそうと土木事業を日本中で展開しました。

公共事業を核とする分配政策の強力な推進者でした。田中総理以後この考え方は長く自民党政権を支配しました。

高度成長時代は自己責任・自助努力が統治哲学ではなく権力による富の分配が基本だと思います。

高度成長時代に国民は豊かになり政府もばらまき政策で権力を維持したことで負の相乗効果をもたらしたと思います。

責任を負うことなく自助努力しなくても上手くいくしダメでもなんとかしてくれるという精神構造を育んだと思います。

バブルがはじけ失われた30年の時代となり小泉純一郎政権が自己責任・自助努力路線を持ち出しました。

バラマキはしない努力したものが報われるという強者の論理の導入です。これまでの自民党路線の大転換です。

しかし日本経済の衰退は続き格差は拡大しました。岸田総理は悪い流れを断ち切ろうと新しい資本主義を提唱しました。

そう簡単には歯車は好循環しないと思います。新しい経済の主体となるはずの起業家が育っていないからです。

高度成長時代からの分配の政策の負の効果により起業家精神を衰退させてしまったというのが私の見立てです。

経済の世界だけではありません。私が関わった地方のまちづくりも同様です。おねだり体質が強過ぎます。

明らかに高度成長時代からのバラマキ政策の悪影響で自ら考えることを忘れてしまっています。

政府や都道府県におんぶに抱っこに慣れ切っています。市町村の方からイノベーションが起きにくいです。

生活困窮者に手を差し伸べるための分配政策は当然です。給料を上げるのも一案でしょう。

しかしそれだけでは日本の活力は取り戻せません。官民問わず困難な課題に挑戦する気風が育たなければなりません。

現状の厳しい環境をチャンスだと捉え実践しようとする挑戦者たちを支援しないと展望は開けないと思います。