追想・石原慎太郎さん

私が薫陶を受けた人物を3人挙げろと言われれば梶山静六さん野中広務さん亀井静香さんの3人です。

この3人が共通して付き合いがあった人物が1日89歳で亡くなった石原慎太郎さんでした。

石原さんは1999年東京都知事に当選した直後議員会館の梶山さんを訪ね都政運営の助言を求めました。

梶山さんは「あんたが選ばれたのは壊すためだ。思いっ切ってやれ」と激励したと話していました。

野中さんは剛腕でしたがハト派の論客でした。タカ派の石原さんとは肌合いが合わないと思われるかもしれません。

ところが馬が合うのです。主義主張を越えた人間的なところで波長が合うのだと思いました。

亀井さんはタカ派の政策集団「青嵐会」の同志でしたので主義主張はかなりの程度一致してました。

お坊ちゃんの石原さんの方が政界の暴れん坊亀井さんの指南を受けていた感じがします。

石原さんは長男の伸晃さんのことを心配していて「カメちゃん頼む」と相談していた話を聞きました。

石原さんの本性は作家です。現実ではなく理想を追いかけた政治家というのが正しい見方だと思います。

地域密着とか地に足がついたという言葉とは無縁の高踏的な雰囲気を漂わせていました。

私が内閣府の地方分権改革推進委員会の委員だった時、石原都知事が委員会のヒアリングに呼ばれました。

会議が始まる前に委員が待つ控室にあいさつに訪れた石原さんは格好よかったです。70代には全く見えませんでした。

テニスをしてシャワーを浴びてきたと話してました。オーデコロンの香りがかすかに漂いました。

平日知事室には出向かずテニスとはいったいどういうことかとたまげた記憶があります。私には到底まねできません。

『太陽の季節』で芥川賞を受賞し政治家に転身後も常に派手な話題を振りまいてきました。

そんな石原さんのきらびやかな印象とは真逆の話しを知った時は少なからず衝撃を受けました。

湘南高校の少し先輩だった方から聞きました。石原さんは強者ではなかったというのです。

精神的に悩み高校に行けない時期もあって担任の先生の懸命な努力に支えられていたと伺いました。

残念なのは石原さんが青春時代の苦悩を語らなかったことです。カッコ悪いと思ったのかもしれません。

私は逆だと思います。「苦悩は乗り越えられる。俺を見ろ!」と堂々と語れば共感は広がったと思います。

この時期を題材に小説を書けば作家としての新境地も開け新たな読者を獲得したはずです。

強気一点張りではなく弱者にも寄り添う姿勢を持ち合わせた真の強者として名をとどろかせたと思えてなりません。