人生ノート52~参議院選挙5~
追い込まれると前例や常識にはとらわれなくなります。7月3日、告示日の前日、福島に行きました。原発事故の被災地の現状を確かめ選挙戦で訴えるためです。
どこを見て回るか、全て阿部知子さんが段取ってくれました。阿部さんは、年間何十回も被災地を訪れて現地との太いパイプができています。
未来の党の仲間でもある楢葉町の前町会議員松本喜一さんがいわき市内にある仮設住宅に案内してくれました。楢葉町のみなさんが避難しています。
訪れた時間帯にいられたのは、お年寄りの女性の方が多かったです。みなさんが口を揃えて訴えていたことがあります。
昨年12月の選挙の前には国会議員の方は大勢仮設住宅に来てくれたが選挙が終わってしまったらそのあとは音沙汰なしだと言ってました。
富岡町の富岡町のJR常磐線富岡駅を見ました。3・11の状態のままになっていました。駅舎はガタガタになり放射能の線量が高いために手付かず状態でした。
車で走っていて目に付いたのは除染のため表土を剥ぎ取った土の袋です。真っ黒い袋が至るところに山積みされていました。異様な光景でした。
ひと気のない街並みにロープが張られていました。狭い道路一本隔てて一時帰宅して良い地域とそうでない地域が峻別されます。これでは全体としての復旧は困難です。
ネット選挙が解禁ですので撮影チームにも同行してもらい私がかつての記者体験を活かしてリポートして回りました。動画をホームページにアップしました。
南相馬市の桜井勝延市長にインタビューしました。「ちょっと痩せたんじゃないか。」と活を入れられました。ドタバタが続いてましたので顔に出ていたのかもしれません。
桜井さんの歯に衣着せぬ言い回しは健在でした。とにかく現場をよく見て現場がやりやすいように対応策を取ることがないより大切だと繰り返してました。
川内村の遠藤雄幸村長からも話を伺いました。川内村は村役場が復活し帰村が始まっている村でした。46パーセントの方が戻ったとのことでした。
戻るのは高齢者が多く50歳以下に限ってみると帰村された人の割合は26パーセントに過ぎません。放射能が怖いとの理由が一番です。
浪江町にある希望の牧場ふくしまを運営している吉沢正巳さんからも話を伺いました。被爆して売り物にならなくなった300頭あまりの家畜を育て続けています。
「原発一揆」という著書を渡されました。意地だけを武器に戦うと帯に書いてありました。反骨心はわかります。しかし明日が見えない戦いです。
百聞は一見に如かず。この目で見たことを具体的に語ることで迫力が生まれます。7月5日横浜関内駅で行った第一声で見てきた福島を訴えました。