周回遅れの『人新世の「資本論」』論
新進気鋭のマルクス研究者斎藤幸平さんの『人新世の「資本論」』がベストセラーとなってます。
この注目の書をようやく読みました。少なくとも周回遅れです。売れるだけの中身はあります。
東大が開設している「東京カレッジ」というオンラインでの公開研究講座があります。
内外の若手研究者が著者の斎藤さんを招き『人新世の「資本論」』について討論していました。
30代半ばの斎藤さんが書いた著書が若手研究者たちの知的刺激を喚起していることを知りました。
マルクスに対する心的な構えが異なってます。マルクスを新鮮な対象として捉えているのです。
斎藤さんはマルクスの膨大な手紙などこれまで未発表の資料を丹念に調査しその研究成果が土台となってます。
晩年のマルクスはこれまで一般的に理解されてきたマルクスの思想とは大きく転換しているというのです。
マルクスはドイツ人です。ゲルマン民族の共同体の役割を評価し脱成長のモデルとして位置づけているのです。
斎藤さんは地球環境が人類の生存に重大な脅威となっている「人新世」において共同体への回帰がカギだと提起してます。
斎藤さんは共同体を「コモン」と横文字を使って説明してます。共同体は古めかしい印象を与えるとの判断だと思います。
経済成長の夢から解放されて共同体の持続という新たな目標を掲げて人類は進むべきだとの考え方です。
ひと世代上の研究者は成長なしに持続はできないとの思い込みがあるし「共同体」への回帰に違和感を持つでしょう。
若い世代の研究者はそうした思いを抱かないからこそ斎藤さんの著書を前向きに捉えられるのだと思います。
私は斎藤さんの研究者としての鮮烈な業績については異論を唱えるつもりは毛頭ありません。
ただ一点気がかりなところがあります。ドイツの歴史を前提にして議論を展開しているところです。
日本の歴史を踏まえた共同体の議論は著書のどこを見ても触れていません。ドイツを中心とした話です。
共同体への回帰が必要だとしてもドイツの共同体と日本のそれとは歴史的由来が異なります。
マルクスが言っているのだから普遍的に正しいというのではかつてのマルクス主義者と同じ過ちを犯します。
日本の歴史研究を踏まえてマルクスの晩年の問題提起をどう考えるかについてが大きな宿題として残ってます。
斎藤さんの議論は具体の実践論ではありません。机上の議論として論を展開しています。
この議論を土台に共同体への回帰をいかにして実現するかが今後の焦点となります。
その場合は各国の歴史を踏まえた議論としないと大きな過ちをしでかすと思います。