人新世時代のまちづくり9~続・教育目標の転換~
開成町長の時に理想のまちづくりの柱は教育の町でした。父親からの引き継ぎでした。
父親の町長時代のスローガンはシンプルでした。教育の町、スポーツの町、事故のない町でした。
いちばん最初に教育を掲げたのは想像するに町名の由来から来ていると思ってます。
1955年2月に2村が合併して開成町はできました。2村で運営していた小学校の名前を取りました。
開成という名前自体、中国の古典にある開物成務、知識を開いて務めをなすからきています。
ズバリ教育のことです。開成町は教育が原点にあると言えますので教育がまちづくりの柱です。
2010年4月に新しい小学校が開校しました。少子化のこの時代には珍しい出来事です。
新小学校の開校は苦難の連続でした。突拍子もないアイデアを実現しようとしたからです。
旧来の小学校を低学年小学校、新小学校を高学年に通ってもらおうとしました。
保護者から猛反発が出て斬新なアイデアは頓挫してしまいました。返す返すも残念です。
低学年のうちは学校から外に出て思い切って体験学習を積むことを考えていました。
高学年は中学校との連携を重視してより高度の教育を充実させようとしました。
地域との連携を特色にしようとしました。地域住民に積極的に教育に関わってもらう考えです。
県立の農業高校もありましたので幼稚園から小中学校そして高校との連携も考えました。
低高分離方式の小学校が誕生していれば教育の町開成のユニークな教育の場になったと思います。
学校だけを教育の場として捉えるのではなく町全体と学校と考える逆転の発想です。
教育改革のひとつの方向性として今なお有効な考え方だと思ってます。
低高分離方式への反対の理由は兄弟別々の学校の通ううのは不便というのが多かったです。
子供を実験材料として扱うような新たな教育に対する不安感もあったのだと思います。
教育内容に関わる方針は教育委員会に権限がありますので首長が直接出張れませんでした。
私としては前面に出て開成町らしい教育改革に向け思いのたけを述べたかったです。
2015年に教育委員会制度が抜本的に改正されて総合教育会議制度が導入されました。
首長が座長というところがみそです。教育改革に意欲のある首長は前面に立てるのです。
教育関係者だけで教育を考えていては現代社会が抱える課題を理解することはできません。
外に視野を広げ教育現場に新たな息吹を積極的に取り入れていく必要があります。
首長は総合教育会議を通じて外と教育界をつなぐ役割を果たすことが可能です。
総合教育会議は人新世時代に相応しい教育改革を実践するためのエンジンとなりえます。