人新世時代のまちづくり7~共生社会の実現と里山~

著名な建築家の故黒川紀章さんに『共生の思想』という著書があります。1991年の刊行です。

バブル経済が頂点に達し崩壊の過程にまさに入ろうとしてました。この時期に共生を唱えたのは先駆的です。

すでに30年以上が経過しましたが我々は共生の思想を血肉化しているとは到底思えません。

SDGsという用語は広く生き渡ってます。日曜日に短歌会がありましたが短歌にも登場してました。

しかし実践されていないため人類の活動が極限に達している「人新世」という言葉が登場したと言えます。

共生の思想に再び光を当て直しまちづくりにどのように活かすかを再検討する必要があります。

山の斜面を切り崩し宅地開発するような開発事業は完全に時代遅れとなりました。

高度成長期に山林の斜面を開発して建てられた住宅群は高齢化の進展とともに維持が不可能となってます。

私の住む地域でも斜面の住宅は高齢者には住みにくく平地のマンションに移る人も目立ちます。

空き家空き地の増加が気がかりです。サルや猪、シカなどの動物が山沿いの住宅地を荒らすようになってます。

自然と共生しようと言っても問題は複雑化していて解決の道筋はそう簡単なことではありません。

まちづくりの視点から考えると共生の思想を具現化する場として最適なのは里山だと思います。

里山の復活を目指すことで共生の思想をもう一度考え直してみようではありませんか。

ときおり誤解があるのですが自然との共生というと手を付けないことだと考える向きがあります。

太古からの原生林を守る地域はそうですがいったん人手が入ったところは人が手を加えなければ荒れます。

里山は人が手を入れて土地を耕して農作物を作りながら程よい自然を維持するバランスの良さに特徴があります。

二宮尊徳は天道と人道とを分離して考えました。自然の赴くままの姿が天道です。

そこに人の手が入らない限り人にとって有用な土地とはなりません。こちらを人道と言いました。

人道は人が作為して整えたものです。ありのままの自然とは異なります。こうした地域が実は大半です。

高齢化が進み農業者も減って里山に入る人が減りました。よって荒廃地となっています。

もう一度程よいバランスを取り戻すことが必要です。本来の里山に戻すことに他なりません。

意欲溢れる若い農業者の参入は不可欠です。資本力のある民間企業の協力も避けて通れません。

デジタル革命の応用も必須です。鳥獣被害から里山の農地を守るにはデジタル技術はなくてはなりません。

人新世時代の共生の思想は里山の復活から始まると考えて取り組むことが求められます。