地域の関東大震災史を学び直す
「足柄の歴史再発見クラブ」は、地域の災害の歴史を学び直す活動を続けています。
4月から始まる新年度の活動目標は地域の関東大震災の歴史を再点検してみようというものです。
来年9月1日は関東大震災発災から100年の節目です。これをきっかけに活動を考えました。
関東大震災に関わる様々な話題を会員が持ち寄り議論しながら進めて行くことを確認してます。
来年の秋には成果を持ち寄りシンポジウムを開催し年度中には報告書をまとめることを目指しています。
先月26日に定例会が開かれ会長の関口康弘さんが話題提供しました。山北町内の鉄道の被害についてです。
山北町内は東海道本線が走っていて山北町は有数の鉄道の町として繫栄していました。
関東大震災でいたるところで山崩れが発生し貨物列車が現在の谷峨駅前で脱線しました。
小さな鉄橋が架かる箇所でした。幸いにして車両の河川への転落は免れました。
貨車の積み荷は小麦粉や乳牛だったということです。ここからが面白いところです。
小麦粉とは支援物資として地域が受け取りました。問題は乳牛の方です。こちらも被災地が受け取りました。
脱線箇所より山奥に入ったところに共和という地域があります。ここで酪農を始めたというのです。
私が子供の頃給食で飲む牛乳は共和牛乳でした。共和の牛乳でカルシウムを摂って背が伸びたようなものです。
共和地域は元々酪農の産地ではなく関東大震災で脱線した貨物列車に乳牛が乗っていたことがきっかけでした。
これには驚きました。転んでもただでは起きないというかひょうたんから駒というか…。
共和牛乳は現在はブランドとしては無くなっています。別の牛乳製造メーカーが受け継いでます。
脱線した地域一帯は現在の清水地域と言われるところです。ここではお茶の生産が盛んでした。
お茶の生産も関東大震災で被災したのちの産業振興の柱として位置づけられたものでした。
関東大震災は地域に大きな被害の傷跡を残しました。しかしそこから復興を目指した踏ん張りもありました。
来月の定例会は私が当番です。関東大震災で現在の開成町域の建物の倒壊が少ないことを話題提供します。
開成町は東半分が古田島村、西半分が酒田村、二つの村が合併してできたまちです。
関東大震災で酒匂川という二級河川に面した古田島地域の倒壊率の低さは異様なほど低いです。
全壊率は6.7%、半壊率は15.5%です。全半壊合わせると大半の家屋が被害を受けている中で際立ってます。
専門家に協力を求め探求しようと思います。解明できれば地震の際の救援拠点とする根拠になります。