憲法解釈を変更して集団的自衛権を認めるのは姑息の極み。
27日東京・市ケ谷のホテルで柳沢協二さんを招いての勉強会がありました。防衛問題に関心のあるジャーナリストや研修者が参加していました。
柳沢さんは防衛省の防衛研究所所長を務めたあと、内閣官房副長官補を歴任し小泉純一郎政権当時、イラクへの自衛隊派遣を統括しました。
私は柳沢さんとは旧知です。私がNHKの防衛担当記者だった当時、柳沢さんは広報課長でした。防衛論議をしばしば戦わせました。
柳沢さんは安倍政権が集団的自衛権の憲法解釈を変更して認めようと動いていることに対して批判的な立場を明らかにしています。
勉強会の講演でも憲法の解釈の変更で集団的自衛権を認めることは無理があると再三述べていました。私もこの点は全く同感です。
現行憲法は国際紛争を解決する手段として武力の行使を認めていません。集団的自衛権を認めることは全く対極の立場です。
日本国憲法で認めているのは自衛のための最小限の防衛力の行使です。集団的自衛権は同盟国が攻撃されたら自国のための攻撃とみなすという考え方です。
国際紛争を武力で解決する立場をとるか取らないか水と油の違いといっても良いと思います。これを解釈の変更で乗り切ろうというのは乱暴過ぎます。
堂々と憲法改正を提議すべきです。憲法改正だとハードルが高いので解釈の変更で行こうとしているのだとしたらあまりに姑息なやり方です。
憲法改正をし易くする為に国会議員三分の二の賛成という条件を二分の一に緩和するための憲法改正を先行しようという動きも一時期ありました。これも姑息です。
安倍内閣は支持率も高く衆参ともに圧倒的な勢力を誇っています。本来の持論である憲法改正は、逃げずに正面から堂々と挑み国民的な議論を興すべきです。