偉人による名言と命名伝説

政治家は悪名は無名に勝るという言葉がいちばん適合する職種だと思えてなりません。

あの政治家ならばやりかねない、言いかねないといううわさ話が幻想を膨らませて逆に力になることがあります。

ここまでくると政治家伝説に一歩近づきます。らつ腕と言われる政治家はこうした力を有してました。

うわさ話を巧みに利用し自らの力に変えて政治力のアップに使うしたたかさを持っていました。

ところが政治家ではなくいわゆる偉人となると伝説の成り立ち方がいささか異なります。

あの方ならばこんな奇跡を起こしたはずだとかこう言ったはずだということが創作され事実とされます。

創作された事実がいつの間にか真実へと変ぼうを遂げて語り継がれることがあります。

私が畏敬の念を持ってやまない江戸時代末期の農政家の二宮尊徳もそんなひとりです。

二宮尊徳の有名な言葉に「経済のない道徳は寝言で道徳ない経済は犯罪である」があります。

研究者によれば尊徳がこのような言葉を残した事実はありません。誰かの創作です。

二宮尊徳の基本的な哲学は経済行為と道徳行為は一体でなければならないというものでした。

この立場をより端的に示すための言葉として生まれたものだと想像されますが見事な創作です。

来年は関東大震災から100年です。災害と言えば「天災は忘れたころにやってくる」という言葉が浮かびます。

著名な地震学者の寺田寅彦が語ったとされる言葉ですが膨大な随筆の中にはないということです。

『寺田寅彦は忘れた頃にやって来る』という集英社新書によれば周囲の人に語っていたらしいとのことです。

寺田にはもうひとつエピソードがあります。秦野市と中井町の境にある震生湖についてです。

周辺の土砂が崩落し沢をせき止めてできた湖です。寺田寅彦も調査に訪れました。

震災から7年たった1930年9月のことです。2回訪れ俳人でもある寺田は有名な句を残しました。

「山さけて 成しける池や 水すまし」です。1955年9月に句碑が建てられました。

俳句はともかくとして震生湖という命名者は誰なのかは意外に知られていません。

寺田寅彦が命名したという説もありそれが事実だと記している遺跡のガイド本もあるとのことです。

秦野市が調査した報告書があります。震生湖に関する歴史や自然について網羅してます。

近隣の方々が命名したらしいとされていました。寺田寅彦が訪問する以前の地誌の地図に名があるとのことです。

寺田のような著名な人物に命名して欲しいとの願望がいつの間にか事実として伝わったのだと思います。

偉人は何かと伝説になりがちです。歴史的事実と偉人伝説は分けて考えた方が良さそうです。

 

 

 

 

 

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