遠藤周作の遺作『深い河』の深い意味を学ぶ
NHKEテレで「こころの時代」という宗教や人生をテーマにした良質な番組があります。
作家遠藤周作さんの遺作『深い河』を題材に日本人にとってキリスト教とは何かを探ってました。
遠藤さんの文学を探求してきた大学教授と批評家ふたりの対話を軸に番組は展開します。
遠藤さんの生涯のテーマは日本人とキリスト教でした。母親の影響で遠藤さんもクリスチャンでした。
遠藤さんがキリスト教について語っている場面がありました。日本人の身体に合わないと言ってました。
無理やり合わない洋服を着させられているようだとたとえ話で窮屈さを説明していました。
遠藤さんは文学作品の中でなぜ肌合いに合わないのかを探求し続けてきました。
その最期の作品が『深い河』でした。番組のおかげで日本人が捉える神と西洋人との違いがわかりました。
日本人にとって神は自らの身体から外にある絶対的で威厳のある存在ではありません。
自らの身体の奥深くに存在する温かく見つめてくれる存在です。西洋人とは大きく異なる認識です。
キーワードがありました。日本人にとって絶対の存在とは信頼すべき存在です。
西洋人は信仰の対象です。信頼と信仰、このふたつの言葉の違いにはっとさせられました。
長年の疑問が一気に氷解した気分となりました。日本人が求めていたのは信頼なのです。
神は絶対の規律でひれ伏す対象ではありません。自然体で向き合い受け止めてくれるものなのです。
遠藤さんは『深い河』の中でそうした身体の奥深くに存在する存在を玉ねぎと表現していました。
むいてもむいても中心に達しない奇妙な存在です。日本人の神の捉え方が巧みに表現されています。
西洋のように厳父というような恐ろしい存在とは明らかに違います。日本と西洋の神は異質です。
自然体で向き合うことは西欧のように信仰という態度を取らなくても宗教的であり得ます。
日々何気ない暮らしの中のあちこちに神が潜んでいると見てあらゆる存在に対し敬意を表すことができます。
この態度は普段の生活における規範性のよりどころとなります。西洋の厳格な規範とは異なります。
身体や森羅万象の奥底にあまねく潜む神を信頼し調和を図るという生活態度はユニークです。
西洋人には絶対的な神を身体の外に明確に意識しない態度には違和感を覚えることでしょう。
あいまいな態度に見え日本人には宗教が無いのかとの誤解を生んでしまう原因にもなります。
『深い河』は西洋とは異なるキリスト教のとらえ方を示すことで日本人特有の宗教観を示してくれます。
同時に日本人の宗教性が現在廃れてしまっていることに危機感を覚えさせられる作品でもあります。