平和憲法施行75年
今年ほど平和憲法の持つ意味を深く考えさせられる年はないと思います。
ロシアのウクライナへの軍事侵攻が憲法の平和主義への確信を揺さぶったからです。
独自の論理を振りかざし軍事侵攻するロシアのような国が存在するという現実を見ました。
平和憲法があれば日本は安全なのかという素朴な疑問が現実味を帯びて感じ取れたはずです。
ロシアが北方領土に軍事基地を建設し北海道侵略を狙っているのではとの疑念が浮かびます。
中国による尖閣周辺の支配力拡大の動きもこれまでとは異なった風景に見えたはずです。
自国の領土を取り戻すと軍事力を行使する可能性はゼロではないと思うのは人情です。
湾岸戦争やイラク戦争の時は軍事衝突と言っても遠く離れた地域での軍事衝突でした。
ウクライナ危機は全く様相が異なります。戦争を自分事として捉える契機となったと思います。
これまで対岸の火事だった戦争をリアルに受け止める契機となったことには価値があります。
言葉だけでは平和は維持できない現実を実感を持って受け止めるきっかけとなるからです。
こうした中で憲法施行75年の節目を迎えたことを日本人は深く考える必要があります。
日本の領土内や周辺で軍事衝突がありうるとの厳しい認識の下で平和を考えなければなりません。
他人事の態度をとることは机上の空論を述べているのと一緒で慎まなければなりません。
攻め込まれるかもしれない状況下でも平和憲法を堅持すべきか否かが問われています。
憲法9条改正論者、9条擁護論者ともに重視しなければならない根本命題だと思います。
日本国民の安全を守るということが第一義的に大切なのか理念を守ることかと言い換えられます。
国民の安全を守ることを優先すべきで理念は後回しだと考える国民の方が多数派だと推測します。
ウクライナの惨状を映し出す映像を見ればこのように考える国民が増えるのは自然です。
理念の色眼鏡を外し現実を見る視点で日本の安全を考えることの大切さは理解されると思います。
しかし敵基地攻撃能力を身に着けたり軍事費増大をすればよいのか冷徹に考えなければなりません。
力に対し力で対抗する方向に舵を切るとどこで線を引けばよいのかあいまいになります。
その結果軍拡競争に歯止めがかからなくなり緊張激化の危険性が出てきます。
このリスクを回避するための方策として再び平和憲法が掲げる理念を考慮せざるを得ないのです。
平和憲法の許す範囲での軍事力というしばりは過度の軍拡の防波堤となります。
私は平和憲法の象徴、9条を堅持して日本の安全を断固守る道を探るべきだと考えます。