秦野市関東大震災遺跡ミニツアー

連休谷間の2日神奈川県秦野市内の関東大震災の遺跡2か所を回りました。

足柄の歴史再発見クラブの関口会長夫妻とメンバーの西本晴男さんと4人でした。

西本さんは元建設省の技官で筑波大の教授も務められた砂防のプロです。

足柄の歴史再発見クラブでは来年の関東大震災100年に向けて調査を始めています。

西本さんの調査で秦野市内の丹沢山中の遺跡に疑問があるとのことで調査に同行しました。

場所は秦野駅から東丹沢方面に向かい登山口に当たる蓑毛(みのげ)から更に昇った地点です。

元宿(もとじゅく)というところがあります。細い山道の脇に住居のような跡があります。

江戸時代は宿場であったというから驚きです。15件の宿があったという記録があります。

西本さんが注目したのはこの宿が関東大震災後の山崩れで流されたとの伝承があるとの案内板でした。

この案内板は現在はなく新しいものに書き換えられています。真相を知るためでした。

はだの歴史博物館を訪ね大倉館長から明治時代の古地図の現物を見せてもらいました。

明治の段階で宿場は宿がなくなっていることがはっきり見て取れました。

関東大震災で流されたのではなく利用客の減少で宿主は徐々に移転したのが真相でした。

現地は開発用地のように段々になっていてログハウスの山小屋を建てるのに格好の土地でした。

リモートワークなど働く環境が変化している現代ですので活用の余地があると思います。

続いて秦野市の南東部の丘陵地帯の震生湖に向かいました。突然雨が降り出しました。

震生湖は関東大震災による山の土砂崩れで川がせき止められてできた湖です。

震生湖周辺は2020年3月に地震で発生した堰止湖として国登録の記念物に指定されました。

湖の周辺はチップ材で敷き詰められた歩道が整備されていて歩きやすいです。

ブラックバスとヘラブナが釣れるということで十数人の釣り客がいました。

当時の日本を代表する地震学者の寺田寅彦が2度にわたり調査に訪れたことが有名です。

寺田は著名な俳人でもあり「山さけて成りける池や水すまし」という句を残しました。

この句が石に刻まれて句碑となっています。達筆ですので読むのがひと苦労でした。

寺田は「天災は忘れた頃にやって来る」という有名な言葉を残したとされています。

大震災から100年。寺田の言葉を見つめ直す機会です。寺田について解説が欲しいと思いました。

震生湖の近くに土砂崩れで命を落とした13歳と11歳の2人の少女の供養塔があります。

接する道路の交通量が多く危険です。設置場所にひと工夫お願いしたいと思いました。

 

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