目からうろこの物語
歴史ものの書物を読んだり講演を聞いていちばんの喜びは目からうろこの感覚を覚えることです。
そうだったのかという突き抜けるような感覚が全身を貫く時幸福感に浸ります。
既に亡くなられましたが網野義彦さんという歴史家がいられました。
講談社の日本の歴史シリーズは新鮮でした。多様性と変化の歴史観を提示しました。
百姓=農民は思い込みとの指摘には驚きました。先入観を壊してくれました。
速水融(あきら)さんという日本の歴史人口学の泰斗の方がいます。
『歴史人口学で見た日本』という文春新書を読んだ時は衝撃でした。
日本は田畑の規模の拡大ではなく人的資本、人手をかけた耕作の道を選択したというのです。
速水さんは江戸期の日本では「産業革命」ではなく「勤勉革命」が行われたと主張しました。
日本社会の中に根付く働くことを美徳とする信条の基盤を垣間見た覚えがしました。
最近は縄文期の発掘で新発見が相次ぎ縄文時代の見方の見直しを迫ってます。
山を歩き回る狩猟採集ではなく樹木を管理して安定して食料を確保していたというのです。
7日小田原史談会の講演会がありのぞいてみました。弥生時代の考察がテーマでした。
杉山浩平さんという小田原市出身で東大の特任研究員されている方でした。
先史時代に石器の素材として利用された黒曜石の発掘を通して歴史の動きを探っていられます。
伊豆諸島の神津島は黒曜石の産地です。縄文時代前期・中期遺跡で発見されてます。
河津町辺りで陸揚げされて小田原方面へ送られた可能性があるとのことでした。
稲作文化の広がりについて陸地を辿って広がったと短絡しがちです。
杉山さんの話によると海の民、海人(かいじん)がコメと耕作技術を広げたというのです。
伊勢湾から伊豆諸島、そして西相模地域へと稲作文化が伝播したとの説を示していました。
小田原市の中里地区の弥生時代の遺跡の中に伊勢湾西岸地域の影響が見て取れるというのです。
杉山さんは海を生業の舞台として遠距離交易をおこなう海人の役割を強調しています。
弥生時代ですので帆船ではなく手漕ぎの船ですので動く範囲は限られています。
それでも弥生時代のイメージを変革します。海の民が縦横に動き回っていたのですから。
コメの耕作技術が陸ではなく海を介して伝わったというダイナミックスさに興奮しました。
歴史は固定したものではありません。最先端技術を使った探査で定説はいつでも覆ります。
先入観を持って固定的に見てしまうことの過ちを教えてくれているかのようです。
歴史に関する先入観を覆す発見はあらゆる事象を柔軟に見ることの大切さを訴えています。