沖縄本土復帰50年に思う

昨日、沖縄が本土復帰して50年ということで記念式典が行われました。

1972年佐藤栄作総理は「沖縄が本日そこに復帰した。」と宣言しました。

しかし、沖縄人にとってあくまでも「本土」復帰であって「祖国」復帰ではありません。

沖縄人にとって祖国はかつての琉球王国です。やまとの国ではないところに留意する必要があります。

本土に住む我々は沖縄県民のこの原点を忘れがちで本土復帰は祖国を取り戻したと誤解します。

1879年明治政府によって琉球王国は廃止させられ沖縄県となりました。

廃藩置県と同様の流れで天皇を中心とする中央集権国家を形成するための措置でした。

しかし沖縄は独立した国であって他の藩とは位置づけが異なります。

国が亡くなり亡国の民となった感覚が沖縄県民の底流に流れていることは間違いありません。

中央集権国家の一翼を担う存在となった沖縄のその後の歴史は悲惨なものでした。

太平洋戦争において日本国内で唯一地上戦が行われ犠牲者は住民の含め20万人です。

当時の沖縄県民の4人に一人が戦死しました。語り尽くせぬ悲惨な記憶です。

戦後は在日アメリカ軍の基地の島として存在しこの役割は今なお続いています。

0.6%の国土に70%の在日アメリカ軍専用施設が集中は苛酷な現実です。

ロシアのウクライナへの侵略戦争で「要衝」という用語がしばしば登場します。

交通や経済上、軍事上の重要性から地政学的な価値が高い地域のことです。

江戸幕府に開国を迫ったアメリカのペリー提督は浦賀の前に先に沖縄に寄港してます。

太平洋戦争でアメリカが沖縄を制圧したのは日本本土を空爆する最適の拠点だったからです。

中国が海洋進出を強めアメリカとの間で覇権争いの様相が激化しています。

中国軍が太平洋に進出するにあたり出入り口に位置するのは沖縄諸島です。

沖縄の地政学上の重要性は増しこそすれ減じる流れにはありません。

沖縄は交通の要衝であると同時に軍事戦略上の重要性も増しているのです。

沖縄の経済の発展の流れを強めると同時に日本の安全への備えもしなければならないのです。

この矛盾にどう向き合うかは難問中の難問ですが私にはかねてよりの持論があります。

沖縄の自治を強化する一方で外交防衛については国家の立場を優先する体制を作ることです。

強力な地方政府をつくり都道府県以上の権限を与え経済面で発展を目指す基盤を作ります。

外交安全保障分野は国家が前面に出るやり方です。日本版の一国二制度です。

普天間基地の辺野古移設は沖縄の自治を強化することを前提に合意形成を図るべきです。

沖縄県民の意向が重要です。今年9月の沖縄県知事選挙は天王山です。